2015年8月27日

【金子兜太】花神社


【金子兜太】花神社 1995年7月       1500円
『少  年』(全)
 一部
 東京時代 (昭和一五-一八年)
 トラック島 (昭和一九-二一年)
 二部
 結婚前後 (昭和二二-二三年)
 竹沢村にて (昭和二四―二五年)
 福島にて (昭和二六-二八年)
 三部
 神戸にて (昭和二九-三〇年)   後記
金子兜太自選四〇〇句
 「生  長」抄
 『金子兜太句集』抄
 『蜿  蜿』抄
 『暗緑地誌』抄
 『早春展墓』抄
 『狡  童』抄
 『旅次抄録』抄
 『遊牧集』抄
 『猪羊集』抄
 『詩經国風』抄
 『皆  之』抄
 『 黄 』抄
■人と作品
縄文土器のような句    佐佐木幸綱
「生と死の風景」抄    鍵和田柚子
 金子兜太略年譜
 初 句 索 引
 季題別索引


 「生と死の風景」抄-鑑賞金子兜太
 鍵和田柚子
  長城足下養蜂家族がいるわいるわ
 兜太氏は「定住漂泊」を思念されているが、実際の旅も多い。中では東北への旅吟に隹吟が目立つ。例えば「人体冷えて東北白い花盛り」などは、代表作の一つである。

 掲出したのは「中国旅吟」からで、句集『遊牧集』(昭和52~56年)に収められている。私も同じく初夏に中国へ旅したことがあるので、この一連の作はとてもなつかしく読んだ。万里の長城の辺はアカシアの花が多くて、養蜂家が多い。それにしても「いるわいるわ」という繰返しのリズムはすばらしい。場面感が生き生きと伝わってくる。勿論、蜜蜂がうようよいることの暗示にも役立っている。

 けもののごとき温さ黄濁の初夏長江
の句の、「けもののごとき温さ」にもおどろいた。私も黄哺江を舟でゆき、長江を見た。一面黄濁の泥の海みたいに見える。あの感じを「けもののごとき」とは全く絶妙な比喩である。あふれる泥の温い大河は見事に射止められている。中には楽しい句も多い。

  初夏長江鱶などはぼうふらより小さい
  抱けば熟れいて夭夭(ようよう)の桃肩に昴

 第十句集『詩經図風』(昭和60年刊)より。この句集の中で必ずしもこの句が最もすぐれているというわけではない。実は『詩經』の中で私が愛誦しているのは殆ど「桃夭」だけなのである。

 [桃の夭夭たる 灼灼たり其の華 之の子 于に帰ぐ 其の室家に宣しからん……]と口ずさめば、今お嫁に行く娘の、桃の花実のように美しくあざやかなさまがイメージに浮かぶ。その「桃夭」の趣をそのまま採り入れ、若々しい桃は抱けば熟れていて、と詠う。
豊潤な喜びとエロチシズムがあり、たのしい俳味がある。更に「肩に昴」というところは「桃夭」にはない要素で不意に宇宙的広がりが生じるところ。見事な転じ方である。

 なお、『詩經』の表現法に「興」がある。これは、主題とよく似た姿を自然の中から求めて、歌いおこすのである。「桃夭」では嫁ぎ行く若く健やかな娘を、桃の花にたとえて歌い起し、将来の幸せを祝福するかたちで、「興」によっている。これは俳句の場合にも転用できるわけで、句集『詩經國風』の中でもそれは指摘されるだろう。

 ところで兜太氏が何故『詩經』の「國風」にのめり込んでしまったの懸それについては句集の「あとがき」で、一茶研究のために、一茶が一年がかりで取り組んでいた『詩經國風』に自分も取り組み、ミイラ取りがミイラになったと書いてある。妙にひきつけられて、句作りを通してことばをしゃぶってみたかった」ともいう。契機になったのは確かに一茶であろう。しかし私はここで、兜太の全句業の句中もっとも早いもの、昭和十二年の、
  白梅や老子無心の旅に住む

を憶い出さずにはいられない。水戸高校に入学した十八歳の時のこの句に、すでに老子が主題として登場している。勿論中学時代に老子を学んだからであろうが、それにしても、この一句から兜太の俳句が始まっているのは意味深く思える。

 年譜を見ると二歳の時に母に連れられ、東亜同文書院の校医をつとめる父のもと(上海)に行き、四歳まで居住している。上海の記憶は驢馬から落ちたことや、羊群、朱色の家具、砂場、などとあるが、幼い日の原風景は、兜太氏の心に棲みついて、中国への親しみを増したのに違いない。

 この稿を書くに当り、案内された実家で私は目を見張った。家具調度が中国から搬入された中国趣味で統一されていたことである。精巧な彫刻をほどこした箪笥や紫檀の机、同じく紫檀の鏡台、翡翠飾りの調度、襖の水墨画などなど、それに、大きな唐獅子の置物まであって、この唐獅子は元は中国のある寺にあったものという。少年兜太はこの唐獅子に乗っていつも遊んでいたと弟の千侍氏が話された。その唐獅子は兜太氏のカラー写真で、一番印象にふかかった「俳句」(昭和60年9月号)の『詩經國風』特集の口絵として載ったものに、兜太氏の隣りに写っている。

ちょっとユーモラスで、グロテスクでもあるその大きな頑丈な獅子は、どれほど多くの中国の夢を、兜太少年に与えたことであろう。
 兜太氏の心のふるさとは、山国秩父だけでなく、遠い中国にもあったのである。兜太氏の詩魂も亦しかりであろう。
       (「俳壇」昭和六十三年九月号より)


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