2017年2月22日

「他流試合」金子兜太×いとうせいこう


「他流試合」2001年4月 新潮社 1500E
まえがき いとうせいこう
一・俳句は「切れのかたまり」なり 
ニ・定型は「スピードを得るための仕組み」なり 
三・「新俳句」の新しさはここにあり 
四・アニミズムは「いのちそのもの」なり 
五・吟行はこうして楽しむべし 
終にわりに――「非人称の文字空間」に戯れる 
あとがき 金子兜太 
まえがき   いとうせいこう
 ある日、兜太さんから人づてに連絡があった。お互いが選考委員をしている新俳句大賞の入選句を鑑賞し直してみないか、というのである。伊藤園がこの賞を創設してから、早いもので十年が過ぎ、応募も百万句を超えるようになった。それにつれて、俳句に新しい
傾向が生じてはいないか。そいつを確かめてみたい、と兜太さんは持ちかけて下さったのである。

 一も二もなく飛びついた。一流の俳人の鑑賞法は、そのまま創作法に通じている。とすれば、入選句鑑賞は「俳句とは何か」を理解するのに最も実践的な機会となるだろう。自分の無知を恥じていても何にもならない。まずはぶつかってみようと思ったのだ。

 タイトルを『他流試合』にしましょうと言ったのは僕である。大家と話す以上、そのくらいの気概がなければならないという自分への励ましが含まれているのだが、対談が始まるとすぐに通常の試合にならないのがわかった。

 散文屋のこちらには、俳人に聞きたいことが山ほどある。疑問を呈したり反論を組み立てたり、沈黙で反抗したりする暇などなく、とにかくより多くのことを聞き出したくなってしまうのだ。

 だが、僕にも戦略がないわけではなかった。うなずいては引き打たれては下がりしながら、自分が持つ文学観の方へと兜太さんを引きずり込もうという捨て身の作戦である。

 兜太さんはおおらかに構え、僕の脳天に軽々と一撃を加えながら、どんどんと歩み寄ってきた。当然、してやったりと僕は下がる。ところが、どこへ引きずり込もうとしても兜太さんには恐れる様子がなく、ひたすら「さよう、さよう」とかえって僕を肯定し続けるのである。そして、同じ調子で刀を振ってくる。こっちは打たれっぱなしだ。

 それじゃますます試合になっていないではないか、というお叱りの声もあろう。しかし、少なくとも必死に刃を受けている僕には、そのひと打ちずつが兜太さんからの贈り物であり、真剣勝負であることがわかるのである。

 柔らかい肯定の一撃は、あとから効いてくる。例えば、対談後、僕はいつの間にか古典の「係り結び」や「歌枕」の研究に敏感に反応するようになった。

よくよく考えてみれば、俳句にとって「切字」とは何かという問いを兜太さんから与えられているからである。試合はとうに終わっているにもかかわらず、こちらはその問いに答えようと、和歌まで遖って考えようとしているのだ。

 撤退につぐ撤退という試合模様もある。おかげで僕は試合後も、ジーッとしびれる頭のまま「俳句ってなんだろう?」と、こうしていまだに立ちつくしている。肯定のようにみえて問いかけになっている一撃。

 その意味深いひと打ちのあり方自体が俳句の骨法に違いないと、そこまではわかるのである。なにしろ、こちらは何回となく脳天をやられたから。となれば、僕の負けぶりもまた意味のあるものだと思えてくる。さあ、その負けぶりをとくとお読みいただきたい。俳句を知りたいあなたのために、僕はこてんぱんにノサれたのだ。
                      

あとがき 金子兜太
  せいこうさんから、題は『他流試合』でどうか、といわれたとき、それは面白いと即座に返事をした。せいこうさんは散文作家、私は俳句という韻文の作り手。まちがいなく他流である。

 俳句の世界にもいろいろな俳句観の持ち主がいて、主宰誌を出して一つの流派を形成している者が多い。したがって、他流試合は俳人のあいだでも可能なのだが、ジャンルの違う者どうしの対談論議のほうに明るい印象があるのは、身近かすぎるせいかもしれない。

ジャンルが違えばあかの他人の気分もあって、放談できる。ましてや、せいこうさんは感性豊潤な詩人肌の人。私が言い放しをしてもきちんと急所は掴んでいて、あとはさっさと捨ててくれるだろうと思っていた。

 対談は(試合は)新潮社出版部の中島輝尚さんの世話ですすめられ、最初は新潮社のク ラブ。梅雨どきの庭を眺めながらはじまった。気分をかえて、話題にもとらわれずに喋ろうということで、二回目は、せいこうさんの新居に近い駒形の「前川」。次は東京ステーションホテル。

北武蔵の熊谷に住む私には、ここが一番便利なのだ。つづいては表参道のハナエモリビル。風のつよい寒い日で、私は大遅刻した。

止めは、私の郷里の秩父(埼玉県)のホテル。その前に、巡礼札所四番金昌寺と小鹿坂遺跡を歩いて吟行句を作っている(小鹿坂遺跡の出土品については、その後疑問がでて、現在調査中だが、私の句「桜散る柱穴五つ石器七つ」は変えないつもり)。新宿のカルチャーセンターでやった二人の俳句講評と対談は、それからしばらくしてのもの。

 不思議なほど話題が尽きなかった。まずは、「新俳句」と呼ばれる、青少年や若い女性にひろがる作句傾向にはじまり、その傾向に特徴的な、日常語を多用し、季語にこだわらない作り方が話し合われた。そしてそこから、五・七・五字(音)の最短詩形に、どこまで日常語の表現が可能なのだろうか、ということになり、「切字」、「アニミズム」と「いのち」、「気」のこと、「俳諧」のこと、さらには季語にかかわって日本人の季節感にまで話はおよんだ。俳句特有の「韻律」についての、あれやこれやの話が、ラップに精しいせいこうさんの大関心を呼んだことも収穫だった。新宿のカルチャーセンターでの講評で、せいこうさんが、俳句に「非人称の文字空間」を見出したと語っていたことも、そうした対談(試合)から得たものに違いない。

 私は剣術。せいこうさんは空手。私の振りまわす刀の動きを見ながら、それをひらりひらりとかわしつつ捌いていく。ときどきぴしりと素手がとび、素足が蹴り上げてくる。宮本武蔵と佐々木小次郎のような、剣術どうしの他流試合の重苦しさとは違って、御覧のとおり、双方の動きに身軽さがあり、展開がある。せいこうさんも私も、試合を堪能していたのである。 



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