2017年1月8日

『金子兜太の養生訓』 黒田杏子


『金子兜太の養生訓』 黒田杏子2005年11月 白水社 1800E
 黒田杏子の聞き書き・金子兜太対談

1.長寿への意思を持つ、長期作戦を立て、戦略を練る
・禿げ頭、近視、総入れ歯で楽しく
・父の剛毅・母の気力を受け継ぐ
・何事もゆっくり
・立禅とと深呼吸の威力
・無理はしない・怒らない・すべて自然体

2.俳句を生きる、ほんとうの自分を生きる道を歩く
3.新羅万象あらゆるものから「気」をいただく。自らも「気」 を発する
4、日記をつけ続ける人生


禿げ頭、近視、総入れ歯で楽しく
『金子兜太の養生訓』 黒田杏子2005年11月 白水社 1800E
黒田杏子の聞き書き・金子兜太対談
1.長寿への意思を持つ、長期作戦を立て、戦略を練る
・禿げ頭、近視、総入れ歯で楽しく
・父の剛毅・母の気力を受け継ぐ
・何事もゆっくり
・立禅とと深呼吸の威力
・無理はしない・怒らない・すべて自然体

2.俳句を生きる、ほんとうの自分を生きる道を歩く
3.新羅万象あらゆるものから「気」をいただく。自らも「気」 を発する
4、日記をつけ続ける人生

金子 私は現在、長寿への意志というものをはっきりもって生きております。
どうもね、
ただ成り行きに任せていたのでは長生きはむずかしいのではないかと思います。
『二度生きる』(平成六年)を出しだのは十年以上前です。あのなかにもいろ
いろ出ておりますが、現在の考え方はまた異なってきています。そこで、今回は
あらたなる私の長寿作戦についてお話しすることで、「人生、三度生きる」、
私自身の百歳への道が開けてくるのではないか、そう考えました。ともかく
具体的に考えをお話ししてゆきたい。頭のてっぺんから順に話をしていくことで、
その全体像が描けるのではないかと思います。
撮影 田原豊氏

禿げ頭、近視、総入れ歯で楽しく」から


 まず、頭から。頭というと、つまり禿げ頭についてですが、私は四十半ばには
もうほとんど髪の毛は抜けていたのかなあ。戦争中に赤道直下のトラック島に
いたでしょう。
いつも帽子をかぶっていたんです、軍帽を。そして、ほとんど理髪屋に行かない
状態でいたので蒸れちゃったんだな。また、手入れをするという意識がまったく
なかったから、ほったらかしだった。したがって見るも無残に禿げた。おやじ
(金子伊昔紅)も禿げけていた。
おやじは五十の半ばで禿げたと言っていたな。私は四十ちょっとのときに禿げた。
どんどん禿げた。

 兵隊から帰ってきて、前の勤め先(日本銀行)に戻ったとき、私は国庫局総務課に
入ったんだが、総務課長に「金子君、いまバケツ一杯ポマードを持ってきたから、
頭の毛を少しきれいにしてくれ」と言われたのを覚えていますよ。銀行に行っても
私はポーポーの頭だったんですね。それを全然気にしていないということは、逆に
抜けても気にならないということ。だから、他人様のように禿げ頭を全然気にしな
いんです。そして、そのまま禿げっぱなしできちゃった。べつに油をつける必要も
ないし、面倒臭くないし。理髪屋に行くにも三か月に一ぺんか四か月に一ぺんで
済んでしまいますからね。だいいち、毛が伸びない。

 それも近所の理髪屋と馴染みなものだから、義理で行ってるようなものです。壁に
貼ってある理髪料一覧を見ると安いんですけれど、「ご無沙汰してますから」つて、
いつもいちばん高い整髪料の倍くらい払っているんです。

 それと、家内が気にしているんだが、頭が禿げると直射日光がいけないと言うんだ。
だから、帽子はかぶるようにしているんです。とくに夏の間はかぶったほうがいい
ようですね。
直射日光を禿げに受けるとそうとうきついですよ。頭のために、ひいては体のために
も帽子をかぶるのはいいみたいだ。
だけど、冬はそれほど影響ないように思いますなあ。

健康法のひとつで、帽子を愛用しろということをよく言う人がいるけれど、夏の間は
賛成だけれど冬はそんなに必要とは思いません。頭寒足熱、頭は冷えているほうが
いいという感じがありますね。ただ、冬は帽子をかぶっていると暖かいね。だから、
私の場合はフイフテイーフイフテイで、うんと寒い日はかぶります。

 ところで、私は「髪の毛は全身に回っている」という考えです。これはべっに
髪の毛を数えたわけじゃないから保証はできないんですけれど、人間、三本毛が
少なくなると猿になると言われているでしょう。人間の髪の毛は落ちても体の
どこかにその毛が残っている。

だから、体全体の毛の数は変わらないと確信しているわけだ。頭の毛が抜けはじめ
たころ、最初のうちは何かしら、ヘソの下あたりの毛が濃くなってきたんです。
もっとも、そういう目で見ているせいもあるでしょうが。

 理髪屋にたまに行くでしょう。するとそこのおやじが「金子さん、耳の穴の毛が
ふえてきたね」と言うんです。それを聞いて、「頭の毛が耳の穴に回ったり、
おヘソの下のあたりに回ってくるのかな。そういうならプラスマイゼロだ。」と
笑ったことがかあるんです。

 そこからヒントを得て、そう言われてみればそうかもしれないと思っているうちに、
だんだんお尻の穴の回りの毛がふえて、前のほうも濃くなった。毛は腋の下へは
あまり回りようがないらしいな。ほかに回る場所がないから、頭の毛が股のほうへ
回っているんでしょう。直射日光でダババ。とやられると、変な話だけれど股の
ほうの毛がビッビッビッビッビッと反応する感じがある。だから、頭から回って
いるのは明瞭だ。そんな具合で、私は全身敏感です。

 
 さて、頭から少し下がると目だ。私は中学生のときから近視です。おやじから、
「若いくせに近視のやつは大嫌いだ」なんて怒鳴られたことがあるが、こっちは
メガネをかけなけりや勉強にならないんだから、これはしようがない。おやじは
明治生まれの頑固者で、女性には申し訳ないが男尊女卑の固まり、子どもという
のはぶん殴って育てるものだと思っている男だ。

 おやじはメガネを一生かけなかった。かけた時期もあると思うんだが、われわれは
気づかなかった。私のすぐ下の弟もメガネをかけないな。三番目がかけている。
そのときはあ きらめて、おやじも文句を言わなかったらしい。
                                         そういうことで、私は近眼ですが、目そのものは丈夫です。近眼鏡で細かいところまで
見えるし、読書用のメガネも使いますが、モノはしっかり見えるんです。ただ、
白内障の手術はしていないので、ちょっと白濁の状態が出ています。駅のプラット
ホームに立ったとき、時刻表なんかが白っぽく見えるな。でも現在、きちんと度を
合わせたメガネを使っている限りにおいて、選句のときにも支障はまったくないと
いうことです。

 女房のいちばん上の姉の家が眼科医なんです。若い、といっても六十代ですが、
そこの医師に診てもらってます。それがまた親切に診てくれています。その眼科医
から白内障の予防目薬を二種類、赤と黄色をもらって、毎日、必ず二回ずつさして
います。

 
 私の場合は髪の毛もそうだけれど、歯も全然、磨いたことはなかったんです。
子どものころは磨いていたような気がするんですけど、兵隊へ行ってから磨いた
記憶がない。ましてや、トラック島へ行ってからは絶対磨かない。歯を磨くと
いうことに気が回らない。
すっかり忘れちゃっている。トラック島には歯ブラシがないんですから。帰って
きてからもほとんど歯を磨いたことはないんじゃないかな。女房がよく黙っていたと
思います。

  そんな暮らしをしていたからか、六十歳になってにわかに歯槽膿漏になったんです。
それまでは実に丈夫な、馬みたいな歯でした。母親も八十歳まで馬みたいな歯でいた
んです。

だけど、やはり歯槽膿漏になった。私は妻の従兄弟に全部抜いてもらいました。
抜くのが上手だというので通ったんだが、その間、さんざっぱら、彼に色紙を
書かせられた。ここへまた通って歯を入れてもらうのはたいへんだと心配していた
ところ、たまたま近所にいい歯医者がいて、その人に義歯を入れてもらったら実に
具合がいい。だから、総入れ歯でも不便はまったく感じないんです。よほど固い
ものでも普通に噛めます。

 いまはわずか一本残っていて、これを削りまして、根だけになっているんですが、
そこと入れ歯の両方に磁石を入れてビシャー。と留めているんです。最新式の方法
らしい。ときどき、餅などをカッカツと食べると磁石がずれるんだ。だから、
歯もずれてしまって、えらい変なことになっちゃう。だけど、申し上げたように
近所の歯医者にかかっていますから、そこに駆けつけて、すぐ直してもらうんです。

 こういうかたちにして、もう十数年になります。最初は一本そのままだったん
です。それを使った期聞か十年近くでしょうか。それを削って、根だけになって
からでも五、六年経ちます。えらいもんですねえ。その先生はテレビに出ている
私の歯の様子を見てくれているらしくて、「今度はここをこうしましょう」と
かって調整してくれるんです。ただ、使っているのが磁石だからMRI
(磁気共鳴映像法)という検査はダメらしいんだ。

それでも私は証明書を持っていますから、それを見せればいい。MRIを扱う人がそうい
うことがわかっていれば問題ありません。

 耳、喉、鼻、舌
 耳は補聴器の必要は感じません。テレビもちょっと音量を上げればいい程度です
からね。だから、首から上はいまのところまったく問題ないねえ。

 そうですね、強いて言えば、ときどき声がしわがれたり、このところの三、四年
ですが、夏から秋にかけて、食べたものが喉にちょっと滞る感じがあるんです。
嚥下作用がうまくいかない。主治医に言わせると「神経作用か、あるいは狭心症か
何かの前駆症状で出てくる場合もある。その期間は行動を少し静かにしていなさい」
ということだ。そう言われてみると、秋が終わるころから、その症状が消えてしまい、
普通になってしまう。いま気がかりなのはそれくらいだな。

 そうだ。実はこのことでは一度、大騒ぎしたことがあるんです。NHK放送
文化賞をもらったとき(平成九年)のことだから、七十八歳のときです。その
授賞式のあとの祝賀会でのこと。おなかが空いていたし、喉も渇いていた。
パーティー会場に飛び込んだら、赤飯がうまそうだ。それをそのままパッと食べた。
そうしたら喉に引っかかっちゃってね。
水を飲めば下りると思って飲んだが、水が逆に出てしまった。あのときはさすがに
困った。

 幸い、NHKの救護室に運ばれるときに詰まっていたものがとれました。
やれやれと思ったんだが、救護室の医者は、「狭心症の既往症かおる。喉に詰まった
のも狭心症によるものだ」という診断なんだ。それで救急車を呼んでくれたんです。
私はべつに病院まで行く必要はないような気がしていたんだが、慶応病院に担ぎ
込まれた。心臓の専門の医者が診てくれたが、診れども診れども心臓はどこも悪くない。「狭心症の既往症があると言われたそうだが、大丈夫」と言うんだ。それで、
すっかりケロっとして、その日に帰ってきました。

 その後も、朝日俳壇の選のとき、昼飯を急いで食べて、固いものが詰まって
医務室に連れていかれたことがあります。やはり年をとると喉の潤いが少なく
なって詰まりやすくなるんでしょうなあ。嚥下作用は老化するんですね。気をつけないといけない。


 でも、ここのところ二年ほど、そういうことはないですね。ともかく固いものを
ガツガツ食べないようにはしています。よく噛み、ゆっくり食べることは大事ですな。
その基本方針を貫いているということです。

 鼻も大丈夫です・嗅覚はまったく衰えないですね。味覚も変わらない、ゆっくり
よく噛んで食べるから味覚を落とさないんじゃないでしょうか。そんな感じがして
います。
味覚は若いころとまったく変わりません。むしろ、味には敏感になってきた。
というのも、若いころはただガツガツ食っていたからわからなかったような味が、
いまはよくわかるようになってきたからだろう。味覚、これは非常に大事なこと
だと思うな。

病弱だった小学生のころ
 いまは毎月、主治医に血圧を測ってもらい、薬ももらっています。二か月か
三か月に一度、血液検査をしてもらっています。ただ、精密な検査も要ると
思うんです。とくにおやじは脳出血でやられているから、私もやられる可能性が
あるんじゃないかと思う。これは目に見えないでしょう。長嶋茂雄さんみたいに、
頭は何でもなくても心臓がよくなくて濁った血が頭に入っていくということも
ありますしね。だから、心臓と頭は精密検査を受けようと思ってます。頭には
いちおう自信はもっていますが、科学的な裏付けをとっておく必要があるという
気持ちはもっています。

 こんな私ですが、小学校の時代、厳密に言えば三、四、五年生ですが、体が
弱かった。休か悪くて、一か月くらい学校を休むなんてこともありました。
そんな私の様了を見て、父親が海好きのせいもあったんだが、夏休みになると
房総半島に泳ぎに連れていくんです。父親は上海同文書院の校医をしていたもの
だから、そのころを知っている学生が日本に帰ってきていて、房総半島の御宿に
いたんです。三年生のとき、そこへ私を一か月、預けてくれた。家族と離れて
一人でそこに下宿していました。それでも泳げるから楽しかったな。その次の
年は富津、さらに翌年は小湊の横の千倉と、三年間、夏休みはずっと房総半島で
過ごしました。それがよかったですね。体質が変わったんです。六年生から丈夫
になって、それ以後ずっと、いわゆる病気らしい病気はしてないんです。

 母親の話や当時の写真の感じからすると、そんなに病弱じゃないと思うんだ
けれど、まあ、ほかにもいろいろ事情があったんでしょうねえ。たとえば回虫
ですが、勉強中に口から回虫が出たことがありました。いっぱいいたんだろうなあ。

あのころ、マクニンという薬があったが、おやじが医者のくせに、自分の子どもだ
からいい加減にしていてのませなかった。
慌ててマクニンをのんで、全部出したんです。そんなこともあったり、いろいろ
あったんじゃないかな。とにかく三年間の夏の海暮らしですっかり元気な子に
なっちゃったんです。

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