2017年2月23日

「定住漂白」金子兜太




「定住漂白」金子兜太 春秋社 1972刊 1000円
目次
1.原郷と現実⇒〈日常漂泊〉から〈定住漂迎へ
漂泊者と短詩形⇒放哉と山頭火・漂泊の俳人たち
梨の木
2.光晴覚え
3.有情滑稽
芭 蕉⇒「軽み」のこと・あかあかと
虚 子⇒虚子感想・虚子の「客観」
波郷と楸邨
感慨の俳句――赤城さかえのこと
寒い罅――佐藤鬼房について
自然のもの
方法への関心
現代俳句の本格⇒「第二芸術」をこえる二つの志向・俳句と前衛
土がたわれは
4.秩父山河⇒峠について・秩父の山影・昔話のひとくだり・秩父困民党
熊谷雑記
風の山
長崎にて⇒五島列島・樺島の鰻
しみったれだ風土記
夏の鳥
はつらつ
あとがき
初稿一覧


「定住漂白」冒頭からアップします
 摩周湖から屈斜路湖へ。美幌峠では小雨がきた。「いまごろ、こんなにはっきり見えるのは珍しい。雲っているせいだな」摩周湖を見下ろしながら唐黍売りの男がいう。彼は、ばりばりと青い皮をむいては焼いた。
 網走湖からトウフツ湖へ。さらに、ノトロからサロマヘ。オホーツク海を脇に見ながら走った。

ノトロ湖でも雨がきたが、ちょうど色づいた珊瑚草が、その明るい臙脂色の敷物を湖岸の随所に敷きつめていて、雨は、その色を、アイヌの悲話そのままに濃く染めあげていた。サロマ湖も雨。帆立貝を焼く娘が、一人で忙しそうに働いている。若い男女が数組、貝の焼けるのを待っていた。冷たく早い秋の訪れだ。オホーツク海は、曇って重い水平線に向って、鈍く光りつつ盛り上っていった。

 湖から湖へ、そして海――行きついた雨の宿で開いた新聞に、だれかが引用したアンドレーマルローの言葉があった。「死の悲劇、それは死が人生を宿命そのものに変えることだ」。その死 を私は「水」と読んでしまった。

 しかし、宿命とはいうまい。したがって水の悲劇ともいわない。〈存在の哀の証あかし〉―定着へのみちびきであり、同時に流漂への誘いでもあったもの。定在を虚とし、流動を実とするもの。
                               ・・・・・つづく

あとがき
 ここに集めたもののなかには、評論らしいものがあったり、随筆らしいものがあったりして、統一性がないわけだが、しいて名付ければ、<書きもの>、<文章>くらいのところか。あまりそういうことを意識しないで書いてきたので、取柄は、その自由さにあるのかもしれない。

 それはともかく、私は、1の「定住漂泊」から、1の「光晴覚え」まで、<漂泊>について筆を費やし、その角度から庶民の心底をえぐろうとした。

そして、人性における<自然>にまで言を延ばしている。しかも、それを 語るにふさわしい〈畸人〉たちを登場させて述べているわけだから別の角度からみれば私なりの〈畸人〉録ということにもなる。

3は、私の俳句論だが、ここでも古典から現代までの、私か注目する俳諧師あるいは俳句作者をあげて書いている。俳句論というより、俳句作家論といいたい。

4は、郷里の秩父や、今まで住んでいた長崎や福島(東北)、今いる熊谷などでの随想風のものである。気軽に読み捨ててもらえばよい。

 私の俳句執着は、短詩形(とくに最短定型)の魅力と、「俳諧」という「地下庶民」の伝承内実への傾倒に基づいている。とくに俳諧釈義の原典とされる「奥儀抄」が、「誹諧者滑稽也」とし、滑稽の解の一つに、「滑稽のともがらは非して、しかも成者也」をおいていること、また、「去来抄」で、「和歌優美」に対して、「俳諧自由」を言うところが、うれしいのだ。

したがって、ここに書いた<漂泊><自然>は、「俳諧」論の一齣としてもよい。私のこういう関心は、秩父山峡に育ち、西南太平洋の珊瑚環礁で過ごした戦時の青年期までに形成された体質と思想に深く関わっている。そして、戦後のさまざまな経験も、それを強めこそすれ、変えることはなかったのだ。 この本をまとめることができたのは、春秋社の西垣鼎、出雲煕章両氏のおかげである。
  
     一九七二年雨期       金子兜太

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