2017年2月23日

「定型の詩法」金子兜太

定型の詩法 1970年10月初版、発行所・海程社

・楸邨論断片―句集『野哭』、『起伏』を中心にして
・俳句と社会性
・俳句の造型について
・造型俳句六章 ほか)
筑摩書房「金子兜太集4」に所收



初出「俳句」一九六一年一月号~六月号。『定型の詩法』
(一九七〇年十月三十日初版、発行所・海程社)所収。

「俳句と社会性」海程同人・安西篤解説
 このアンケートへの回答は、俳壇全体を巻き込んだ〈社会性論争〉
に発展してゆく。ここで兜太は、有名な「社会性は作者の態度の問
題である」というテーゼを打ち出した。社会性は俳句性より根本の
事柄であって、「自分の生き方」に関わるものだが。その生き方を
支える思想は、生きざまのなかに溶け込み、態度といえる状態に
なったとき俳句に書けるという。

「俳句の造形について」海程同人・安西篤解説
 兜太は、昭和二十年代後半の社会性論によって、俳句への態度
を固めていたが、三十年代に入って、さらに態度と手法を総合
する方法論の確立へと向かった。

それは、社会性論争を通じて強まってきていた俳壇保守派の逆波
に対抗するためにも、また戦後俳句自体の素材主義的偏向を正す
上でも必要に迫られていたからである。

 世に「造型俳句」といわれるこの方法論は、三十年代の初め頃
から「本格俳句」なる言葉で書かれており、講演等では「造型」
という言葉も口にしてはいたのだが。文章上で登場するのは本文
が最初であろう。

この「造型論」では、対象と自己の直接結合を切り離し、その
中間に―‐結合者として――「創る自分」を設定した。これに
よって、暗喩の映像を形象化する方法を明らかにしたのである。

「その場合、『観念投影者』たち(人間探求派―――安西注)
の『自己という人間』の表現に払われた努力(特に草田男と
楸邨の努力)と、新興俳句の人達の構成操作の着目(特に原型
的には誓子の仕事)の双方が是非とも引きつがれ、綜合されて
ゆかねばならない」と述べ、「造型」論が、歴史的経掾の中で
「態度」と「手法」を「綜合」する段階にあることを明らかに
している。

「造形俳句6章」海程同人・安西篤解説
 「俳句の造型について」で、戦後俳句は前衛的手法へのめり
込んでいた兜太が。「造型論」は態度と手法を綜合したものだ
ということをいかに強調しても、実作者たちの手法への傾斜は
とめようがなかった。一方俳壇ジャーナリズムは。〈前衛〉と
〈保守〉の対立の図式をはやしたてていた。しかし兜太にして
みれば、〈前衛俳句〉という特定のエコールの方法論として
「造型論」を打ち出したわけではない。目指すところは
あくまでも俳句の本格的方法論であり、現在を担った真の
伝統の形成である。

 昭和三十五年に十年間の地方勤務を終えて帰京した兜太は
翌三十六年に「俳句」誌上に「造型俳句六章」を連載した。
これによって、「造型論」を詩論的な体系に洗練化するととも
に、子規以降の俳句史の中に位置づけ。伝統との関わりに立つ
啓蒙的説得に努めている。とくに、「創る自分」というキー
ワードが手法的なものに受け取られ勝ちであったことをふまえ、
「主体の表現」という言い方で、態度と手法の綜合へ導こうと
している。

 昭和三十六年は、現代俳句協会の分裂と俳人協会発足の年
でもある。俳壇の保守化はそれを機に一気に強まることになる。

その背景には前年の六〇年安保闘争の収束を契機とする社会
全体の急旋回があった。
そのなかで兜太は、「どんな思潮のなかでも崩れることの
ない〈戦後俳句〉の、つまり現代俳句の方法論を持つべきだ」
と考えて「六章」を書いたのである。



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