2017年2月24日

「金子皆子 花恋忌」 山中葛子

( 金子皆子は兜太夫人で癌を病み闘病のすえ亡くなりました)

2017.1月号からアップ
 このたびは、平成12年からの千葉県旭市での闘病の日々をご一緒させていただいた6年間の交流が収められた句集『花恋』の、ことに前書による句を主として辿りながら、死
の宣告という苛酷な命と向きあわれた句集『花恋』に対峙することへの覚悟と言えばよいのでしょうか。つまりは、9年の年月を経てようやく皆子作品の世界に学ばせていただこう
とする私なのです。『花恋』への畏れと不安を思いつつ徹してみたいと思います。


  紫雲英田

 1996年の晩秋の山で転倒する。東京の醫師により右腎裂傷との診断を得て、その治療を受けるが、2ヵ月余の後熊谷の総合病院に入院、悪性腫瘍が発見され、右腎摘出の手
術を受ける。手術前の1ヵ月の入院検査期間に想念の漂いを記録したものを、俳句の形式でまとめる。一日も休まず長男の嫁智佳子訪ねくる」

 「紫雲英田」48句の冒頭には、このような前書があり、闘病に向かわれる日々の思いが作品世界に色濃く導き出されています。

  金婚なり霜月山の斜面の急

  紅葉終る斜面おりてゆき転倒

 病のきっかけを知ることとなった山の斜面での転倒。それも金婚というみのりの人生の只中のこと。緊張していたけれど、生まれながらのぼんやり屋なのでなんとか時を過ごすことが出来たのでした。

  癒えゆくことも春白浪の一つかな

 この句と共によみがえる4月11日のその日、銚子の京成ホテルに少し早く着いた私は、想像以上に古びているホテルをあれこれと眺めたりしていると、兜太師と皆子先生が熊谷からタクシーでお着きになられ、少しお疲れのご様子ながら笑顔であられほっとしていました。夕食は海を見渡す食堂でのなごやかさの中に進められ、犬吠崎灯台がぽおっと白く浮いていました。皆子先生は「トルコの旅を思い出す風景です」と、とても楽しそうです。

 さて、その翌朝は、思いのほかお元気そうで、「少しも気疲れがなくてうれしい」とおっしゃってくださりほっとしていました。

 午前中は皆子先生の笑顔にあやかる楽しいおしゃべりが続き、兜太師はお部屋で原稿にいそしんでいられるご様子でした。午後は、満願寺から銚子港をめぐり、キャベツ畑では、キャベツ一箱をお買い上げになり、春の強風に衣服も髪も舞いあがる三人の写真が収められていて懐かしいばかりです。それから旭中央病院の中津裕臣先生と御面会しています。

 その翌日は、水族館に立ち寄られて、皆子先生は今日の記念にと、手のひらに載るほどの小さな黄色い子犬のぬいぐるみを買い求められ、午後一時にタクシーでお帰りになられましたが、私は、はたしてお役に立てたのかどうかと不安な思いでした。

 そして、その数日後に皆子先生から〈癒えゆくことも春白浪の一つかな〉の色紙と次のようなお手紙が届き、胸がはちきれんばかりのうれしさでした。

 「思い出に残る、たのしい3日間でございました。おぽろの頭の中に、あの白浪が見えています。ほんとうに有り難うございます。あの白浪の小さな小さな一つを差し上げたく存じます。どうぞお受けとり下さいませ。記念として乂御礼として葛子さんに差し上げたく存じます。句は唯今の心境と人生というか命を思いました。ご主人さまによろしくおつたえ下いませ。皆子」

 とあり、封筒には平成12年4月16日が明記されています。

  温かし山梳子の花の樹主治醫

  懐かしさ同じにしたる苺は二つ

 2000年4月、主治醫中津醫師千葉県旭市旭中央病院に
御転勤となる

  主治醫の後を追うと決めたり花八手

 皆子先生の手提げ袋には、いつも手編みの真っ赤な苺の飾
りが二つ揺れていて、〈主治醫の後を追うと決めたり花八手〉
の生命力を大切になさっていられるお姿が印象的でございま
す。    

  高速朿関道路を朿へ束へ
  山百合一花脳裏に合流や渋滞

  合歓咲きぬ東へ夫と亡き父母と

 6月11日、「旭かんぽの宿」にて兜太師と皆子先生をお待ちして、夕食を楽しみながら、これからの旭市での投宿のことなどが語られています。その翌日には、旭中央病院にての診察を受けられ、異常の無いことにほっとしておりました。とてもお元気で13日にお帰りになられています。

    左腎に腫瘍、発見される
  我は呆然たり夾竹桃の花冠

  夾竹桃の深紅闘うものは何

 7月3日、夕刻に「旭かんぽの宿」でお待ちする。皆子先生が金丸博司氏に送られてご到着し、女二人の楽しい時間を過ごしています。潮騒の中で目覚める翌日には、旭中央病院にて中津裕臣先生の診察を受けられています。そして、思いがけなくも再発の宣告を受けられ、呆然とされたお姿に、私は言葉を失っていました。  
             
 どこをどのように過ごしたのか、気がつくと夕暮れの中を、かんぽの宿から海辺に向かって二人で歩いていました。今にも降り出しそうな雲行きの海原は白い波頭を繰り返していて、只々歩いては浜辺の草に座って暗くなるまでひたすらに歩いていました。まさか病魔に再び犯されることなどは思ってもいなかっただけに戸惑いが押し寄せていました。

 しかし、その翌日は、びっくりするほどの笑顔を見せられた皆子先生の胸中は、私にはとうてい解らないままに、俳句への会話がはずむという作家姿勢を見せられて、俳論に花が咲きました。

 九十九里浜海岸べりの「旭かんぽの宿」のロビーは、一枚ガラスによって海鳴りの音を遮断した静けさで、7月の暑さも遠く感じられていました。皆子先生との会話はとめどなくひろがっていて、「子どもは親を選ぶことが出来ない」という私の言葉を一変させるものでした。「親を選ぶことが出来るのですよ」とおっしゃり、それは哲学的というか、宗教的というか、宇宙的に展望されてくる想念の感触といえばよいのでしょうか。私はすっかり刺激されていました。

 なるほど、皆子先生は早くにご両親を亡くされていられるだけに、長寿の母を見とどけた私の思いとは、これほどまでに違うのかと、63歳の私はひどく幼くて、これが普通の
言葉でいえば幸せなことなのかと思われたものでした。

  会話は、いつの間にか芭蕉、子規、虚子、碧梧桐、兜太師の存在がどっかりと陣取っている俳句談義がはずんでいました。この時、私の頭の中には俳句詩形への思いがぐらぐらと渦を巻いていて、兜太師が昭和32年2月号から3月号の「俳句」に発表された「俳句の造形について」の論が、20世紀末の現在に丁度ぴったりと重なっていることを直感していたのです。そして力説していたのでした。いわゆる前衛俳句といわれた真意が、前衛は創られるものだという思いの、その本質が開花されている現在只今を力説せずにはいられないその時でした。

 皆子先生は、私に向って「兜太論を書くべきです。一生をかけて書きなさい」と、おっしゃり、金丸氏のお迎えが来るまで、病気のことを忘れるほど夢中で俳句を語り合っていました。それにしても、兜太論がいつかきっと書けるのでしょうか。

    中央病院に近いホテルサンモールに投宿(木内支配人)
   トマト食べおり棟上げの木槌の音に
  ホテル内にイタリアンレストラン《グラトー〉
    あれば 二句
  ピザ回す熱い空間は向日葵

  レストランの氷はまなすは海の花

 7月17日、金丸氏の運転で兜太師と皆子先生がホテルサンモールにお着きになり、いよいよ投宿の準備が始められます。

 翌日は、旭中央病院にて、診察を受けられた後は、飯岡海岸を観光される中で、今後の計画などが進められていました。9月4日、ホテルサンモールにて皆子先生をお待ちします。兜太師と皆子先生が金丸氏の車で到着され、荷物が運び込まれてきます。4人でグラトーで夕食を食べながら投宿に向けてのことなどを話し合いました。

 9月5日、旭中央病院にて検査が行われ、午後からはホテルの皆子先生のお部屋での和やかな時間が過ぎていました。月6日、旭中央病院にて検査結果を聞くことになります。
どうやら再発への手術の事柄が告げられたご様子に、私は言葉も無く、戸惑いの中で、衝撃を抱えたまま夕方帰宅したのでした。

  秋は岬にオレンジ色のパワーシャベル

  思い出すまま童謡秋雨前線

  夫は遠くにいつも遠くに鱗雲

  意識際立つ独り暮しに秋茜

  人を恋い水色の秋空は便り

 ホテルサッモールの5階の皆子先生のお部屋では、2人で童謡を歌ったりして、よもやま話に花を咲かせていました。
 
2017/2.3月号からアップ
白い花白い秋 ――主治醫中津裕臣先生に贈る――
千葉の海で
十月二日、いよいよ手術のための入院をされることとなり、私は旭に向かっていました。兜太師も皆子先生も気が沈んでいられるご様子の中で、手術の保証人として兜太師は当然ながら、何故か私の本名の名を記すことになり、光栄というべきか、責任のようなものを感じていました。そして手術日十月十日への思いを込めて、私は私の句を皆子先生のノートに記して帰宅したのです。

  血止草みつけて十月十日かな   葛子

    金子家の生活の中心なれば
  スクリーンの秋景色智佳子頼みます

 金子家の軸となられたお嫁さん智佳子さんの純粋な誠実なお姿がうかびます。
   旭中央病院泌尿器科に入院、100号室へ
  命預ける信あれば今の秋
  レントゲン室水色コスモスでいっぱい
  宇宙あり醫師あり我は一羽の桃花鳥

 十月三日、入院された皆子先生は寝間着姿になられるといかにも病人らしく思われる中、私の腕時計をお守りにしたいとおっしゃり、私は小さな金色の時計を腕から外してお渡しして、手術の日が近づいていました。

 十月九日、皆子先生のお兄様、お姉様、智佳子さんもお見えになり、兜太師とともに明日の手術の成功を願う夜を迎えていました。

 十月十日、午前九時に手術室に入られ、午後一時十五分終了の、中津裕臣先生の手術着姿の笑顔を拝顔するうれしさです。驚くほどの成功で、よろこび合う涙がひかりました。出血も驚くほど少なく、うれしさいっぱいで午後二時の電車で帰宅しました。

     手術(主治醫と数人のスタッフにより行われる)。
     右腎と同じ悪性腫瘍
  腫瘍摘出真昼飯もみな消え去り
   凍結し部分摘出とのこと
  凍る腎臓切り裂く秋の笛師醫師
  命一途に魚も蝗も人間吾(あ)も
  涙も尿も想いも熱き朧かな
  はるばる来て宵待草のナースコール
  右腎なく左腎激痛も薔薇なり
  ベッドを離れて歩き北国雪の知らせ
  野薔薇野薔薇雨の日の疼痛野薔薇
  齢などなし出遇いありてこそ薔薇なり

 術後の日々が見えるような作品群です。

 十月二十四日、ご退院となり、ホテルサンモールには少々の家具も用意されて、養生の日々となり兜太師もご安心の様子です。

    退院を許されサンモールホテルに帰る
  高窓の秋空の瞳に帰りくる
  鯛焼き一つ私に秋の窓二つ
  眠りと香り五階の秋空に住んで
  父とは母母とは父自在落葉かな
  蜜柑や菓子や高貴など陳腐などなし
  夫さざめいて囲まれているか晩秋の隠岐
  夫隠岐にあり我に初冬のキーカード
  全て呑みこみ冬支度する智佳子の日々
  エレベーターで五階へ冬空ののっぽ
  誰もいない点らない冬の部屋一つ
  霧笛霧笛温かき尿ありがたし
  霧笛の夜こころの馬を放してしまう
  情(こころ)あり知あり恋とは白い花
  癒される掌中白い花香り

 ホテルサンモールの五階の部屋ヘエレペーターで昇り、
キーカードで扉を開けるその部屋には二つの窓があり、たい
ていは片方にカーテンが降ろされ深海のごとく仄暗く、霧笛
が聞こえてきます。日常をはなれて一人だけの創作意欲がわ
きあがる部屋でもあります。


  霧笛の夜こころの馬を放してしまう

 [こころの馬]とは天然のままを生きる野生の命でありホしょうか。薔薇の身体の薔薇の疼痛と、霧笛が溶けあう独りだけの愛の神秘でありましょう。「冬空ののっぽ」がなんともうれしそうに感じられます。

 花幻――快復に向かいつつも引き続き療養の日常の中で――

  薔薇の体なりと強く自覚する、生きねばと

 「花幻」100句は、全句を書き連ねたくなる章であり、闘病の苦しい時間がふっ切れたような神秘的な光を放つ心象のかがやき。俳句詩形となっているまるごとの肉体が鮮やかに感じられます。

  薔薇の体に霧笛沁みこむ海の街
  亡母(はは)は渚なり冬の桜貝さがす
  命かけて至福に到る冬の海
  泣きながら星座の湖のなか歩く
  「あれが海です」聖夜砂嵐砂嵐
  抱えられ倒れず二〇〇〇年の聖夜
  二人の影は砂に落ちている星座
  ミッドナイトブルー極まりし海を背後に
  腕時計刻を合わせる聖夜かな

二度の手術を受けられた傷痕が、お天気によって傷むというご自分を「薔薇の体」と明言される療養の日常は、思いがけないほどの内面のドラマが生まれ続ける創作の時を育んで
いられるようです。十二月二十五日、皆子先生からのお電話では、中津裕臣先生と海辺を歩いたことなどお話しくださいました。

  生きる意志散るその時も冬の薔薇

 こうした日々は、ことに創作意欲が増していられ、句会も始めたいとのことで伊藤淳子さん、本田ひとみさんにお知らせしたのですが、そのまま取り止められましたが、お元気になられとても美しく、作句意欲が漲っていられました。
    2001年元旦
  新世紀思いがけずも松飾り
  二世代夫婦屠蘇祝う幸もいただく
  智佳子一人の御節の料理賑わいて
    七十七歳の誕生日
  一月八日ホワイトバースディの苺

 二〇〇一年の新世紀を迎えられた「松飾り」の尊さ。皆こ先生の分身のようなお嫁さんの智佳子さんの御節は、むろん皆子先生伝承のお昧なのです。雪の降り積もるホワイトバースディの七十七歳を迎えられた歓びが見えるようです。

 一月十九日、旭中央病院中津裕臣先生の許に(葛子氏同伴)
  順調なり花終る山茶花の花垣
  痛み薄らぎしことに嬉しき冬の薔薇
  冬の薔薇葛子と笑い転げいる
  寒の薔薇心に十字架を置いて

 もうご回復されたかと思うほどのお元気さで、外来の翌日は、朝から夕刻までおしゃべりが尽きなく、帰路の車窓に映る灯りが熱っぽく感じられる余情にいる私でした。

    二十七日、熊谷に帰る
  人形の部屋抜けてアネモネの部屋
    雪の日に
  雪のなか雉子鳩膨らんでいて消えて
  野面のその果ての冬の海想う
   孫の厚武の誕生記念樹も成木となる
  厚武の紅梅咲き綻びて歩く
   日常や椿一輪が重たし

 山国にいて海を想い、海辺にいて山国を想うことの、安西篤氏の「土と海をめぐるメビウスの輪-金子皆子論」(「海程」昭和六十三年十月号)が思われてきます。めったに雪の降らない千葉県旭市の海辺の街。そして雪が降り積もる熊谷の地とを往還する月日は、その道のりと共に体内の血の流れがすり替わってゆくような未知なる時への遭遇が叶えられることでもありましょう。思いがけないほどの神秘な時の訪れといえばよいのでしょうか。詩的現実という心の映像と結ばれた俳句詩形がなんとも神秘的です。
    K・U氏へ 二句
  桃花鳥の切手の封筒空なりし春
  如月や御息女の亡き悲しびを引き

 K・U氏、それは上林裕氏からの何も入っていないお便りのはずです。桃花鳥の美しい切手を幾度もなぞりながら 空っぽの封筒を開いては閉じながら、「私には上林さんのお
気持ちが手に取るようにわかります。ほんとうに乙なことをなさるお方ですね」と、兜太師の日銀時代の親友で後に「海程」でご活躍された上林氏の御息女への思いを深めていらっしゃいました。

 そういえば、金子皆子句集『むしかりの花』(昭和六十三年四月出版)の句集出版記念会が東京日比谷・松本楼で催され、阿部完市氏と私か司会をつとめさせていただいた折に、上林氏を真っ先に探し出して壇上にお連れし、上林氏がいかに大切なお方なのかを知らされた日のことを思い出します。
 もう鬼籍に入られていられますが、『花恋』の中に作品として永遠に残されている俳句詩形のすばらしさを思うばかりです。
    無事一年経過
  ブロッコリー・メランコリック皿重ね
  癒えゆくことも春白浪の一つかな
 ここにみられる明るさ。〈癒えゆくことも春白浪の一つかな〉は、この章に収められることで、時の流れを創造するべく句集編纂への詩情のたかまりが思われます。   
                                                         
   

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