2016年11月5日

「米寿対談」<俳句・短歌・いのち>金子兜太・鶴見和子


「語る 俳句 短歌」金子兜太&佐々木幸綱 


藤原書店2010年6月刊2400E
黒田杏子編・最高の俳句短歌入門・二人の巨匠が一晩かけて語り明か
した貴重な対話禄
1 俳句 短歌の魅力
2 アニミズムと人間
3 俳句の底力 短歌の底力

節目の年に――はじめに  金子兜太

 幸綱氏とは戦後の若いときから妙に気が合っていて、対談や座談会を
いくどかやっている。今更改めての気持だったのだが、この対談を勧め
てくれた黒田杏子さんは言う。幸綱さんはいま七十歳、早稲田大学教授
を終えたばかりでもあるから、来し方行く末を睨んでの積る話があるは
ず兜太さんはいま九十歳。

これも節目。丁度区切のよい歳に当って、お互いに話したいことかおるに
違いありません。健康法でもなんでも、日常の心構えのようなことを話し
合うだけでも興味をもっ人が多いはずですよ。

 加えて、藤原書店店主藤原良雄氏は、小生の郷里秩父(埼玉県西部の
山地)が生んだ西洋史学の碩学井上幸治氏に私淑してきた。その井上氏
は、明治十七(一八八四)年の秩父事件についてもよく調べておられて
著書も多く、事件研究者の中心でもあった。

 小生も同郷の事件として関心 を募らせてきて、井上氏からたくさんの
御教示をいただいてきた。敬愛する同郷の先輩なのだ。藤原氏は、そ
の井上幸治氏の郷里秩父で対談をやってくれと言う。小生の乗り気は
高まるばかりとなったのも止むを得ない。

 夢のような二日――おわりに       佐佐木幸綱

                                  
 対談は、二日にわたって、初秋の秩父・長瀞の清流を広く見わたす
旅館長生館二階の一室でおこなわれました。

長瀞は兜太さんのご生家からほど近い。いわば兜太テリトリーです。
しかも長生館の玄関ロビーには、大きな額に入って、金子兜太の堂々
たる字で書かれた「猪がきて空気を食べる春の峠」の句が掛けられて
いました。

 緊張して出かけて行ったのですが、なんだか兜太さんのお宅にうか
がったようなくつろいだ気分になりました。そして、もう半世紀近く
昔のことをふと思い出したりしました。
 兜太さんの雑誌「海程」が創刊されて間もなくのころ、雑誌用の
座談会にゲストとして呼んでいただいたことがありました。

「海程」の若手俳人三人といっしょに話そうという企画です。会場
は金子兜太邸。杉並にお宅があったころだと思います。その日、座
談会のテーブルに、当時は貴重品だったジョニーウォーカーの黒を
出してくださった。
あまり飲んだことがなかったせいもあって、座談会が終わるまでの
二、三時間に私かそれを一本飲んでしまったらしい。飲みはじめて
しばらくは憶えているのですが、途中からはまったく記憶がない。
後で恥ずかしい思いをしました。

 そんな昔のことが思い出されました。あのころ、兜太さんはまだ
四十代でいらっしゃった。私は二十代でした。それが今、九十代と
し七十代になって対談させていただく。大げさではなく、夢のよう
な感じでした。

 対談の席には、黒田杏子さんが同席してくれました。ここ何年か、
黒田さんとは折にふれてよくいっしょの仕事をさせてもらってきま
した。同年生まれということもあって、機会も多かったのだと思い
ます。黒田さんが選者のテレビ俳句番組に出させてもらったことも
あります。

 本では、黒田さんが構成を担当してくれました。彼女の構想力、
構成力はたいへんなもので、すっかり信川しておまかせの気分で
しゃべらせてもらいました。

ありがとうございました――あとがきにかえて  黒田杏子
 二〇〇九年一月三十一日(土)、古稀を迎えられる幸綱先生の
「早稲田大学最終講義」を聴講させて頂きました。九月二十三日
(水・秋分の日)、兜太先生産土の地、埼玉県秩父郡皆野町で句
碑除幕ほか、先生の卒寿を祝う集いが盛大に開催され、参上いた
しました。

 その昔、日銀を金庫番として五十五歳で定年退職されたのち、
兜太先生が朝日カルチャーセンターで「一茶」ほか漂泊系の俳人を
とり上げる講座をもたれました。午前の休暇を職場に申請しては、
新宿の教室にかけつけておりました。何冊もの大学ノートに万年筆
でびっしりと書きこまれた克明な一茶研究の跡。鳥肌が立つよう
な時間でした。

 そののち、私か十三人の俳人に聴き手をつとめました『証言昭和
の俳句』(角川書店)にも、代表格でご登場下さいましたが、まず
雑誌「俳句」にその内容が掲載されるや、「オレたちの戦後の行動
と仕事を、消さないで、きちんと残してくれてありがとう」とサ
インペンで大書された葉書を頂きました。さらに、『金子兜太養
生訓』(白水社)をまとめる際、「オレを支えてくれてい るのは、
非業の死者の島から生きて還ってきていること。戦後に復職した
職場と、見事に保守がえりをした俳壇での冷飯。この二つだとい
うことを覚えておいてもらうといいかな」と。

 幸綱先生の作品や著作には可能な限り、ずっと眼を通してき
ました。ある日、先生から鶴見和子対話まんだら・佐佐木幸綱
の巻『「われ」の発見』(藤原書店)が送られてきました。その
晩読了した私は、はさみこまれていた読者カードに感想を書き
こみ投函。わずか百字にも満たないその言葉が版元の藤原書
店の『機』(月刊PR誌)に掲載されたことから、鶴見和子さ
んとの思いがけぬ交流がはじまりました。私はケア(ウス
「京都ゆうゆうの里」の彼女の居室に何度も招かれ、亡くな
られるまでの数年間、またとない交流がとぎれることなく
続き、さまざまな教えを享けました。

信じられない事実ですが、幸綱先生からのこの対話集のご恵投
がもたらしてくださったご縁でした。七月三十一日。私たちは
米寿を機にこの世を発たれた彼女のお命日を、鶴見俊輔先生の
ご承認を頂いて「山百合忌」と名付けました。毎年東京駿河台
の山の上ホテルに於て、「鶴見和子を語る夕べ」を全国から集
まられるさまざまな分野の皆さまと続けております。

 このたびは、長い年月にわたり、ご教導を賜り、さまざまな
場でお励ましとご恩を頂きました、この国を代表される俳人と
歌人、おふたりの誹り(囗われるその場に同席させて頂くことの
出来ました時間とご縁に感謝を捧げます。テープおこしとその後
の編集に協力してぐださった吉田ひとみさんにも感謝いたします。

2016年11月4日

長瀞・宝登山神社の金子兜太句碑除幕式


谷間谷間に満作が咲く荒凡夫   金子 兜太

たらちねの母がこらふる児の種痘  金子伊昔紅

「平和の俳句」の選者を務める俳人金子兜太さん(97)=皆野町出身=の
句碑の除幕式が3日、長瀞町長瀞の宝登山神社であった。金子さんや親類、
俳句仲間ら約50人が集まり、俳句の刻まれた石碑が地元の神社で後世へと
伝わることを祝った。

 句碑は皆野町産の濃紺の油石で、幅1.3メートル、高さ1.1メートル、
奥行き70センチ。金子さん本人が「谷間谷間に 満作が咲く 荒凡夫 兜太」
と揮毫(きごう)している。秩父の谷間でマンサクの花をめでる自らの姿を
詠んだという。

 句碑は、金子さんの功績をたたえるとともに、秩父路散策の道標にしようと、
地元の食品製造会社や造園会社の関係者が中心となって建立した。金子さんの
句碑のそばには、同じように俳句に親しんだ父の伊昔紅(いせきこう)
(本名元春)さんと弟の千侍(せんじ)さんの句碑も並んでいる。
 金子さんは「こうして句碑をつくってくださった方に感謝したい。
父や弟の句とともに並ぶのはうれしい」と喜んだ。
 

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