2016年3月8日

№3 金子兜太の世界 自作ノート


三日月がめそめそといる米の飯       兜太

 山間の宿でできた句だが、晩秋の夜の山空には、三日月
が鋭くかかっていた。茶碗に米の飯。その白さと三日月
が、かすかに照り合って、目のまえの飯のなかに、三日月
が来ている印象だった。しかし、鋭いくせに「めそめそ」と
米の飯のように「めそめそ」と。


 このころ、「霧の村石を投うらば父母散らん」のような
句もつくっていて、米や家やチチハハや日常とか私情とい
うものに、嗟歎まじりの批評を籠めていた。いわゆる「高
度経済成長」のなかで、米作農家の解体や家族制度の変質
が見えてきた時期である。私は悲観的な気持で、その推移
を窺っていた。

 いま一つ、この句での自覚は、三日月と米の飯の、物そ
のものの感じ、つまり、物としての質感をとらえ得たこと
で、これを私は〈物象感〉といっている。

涙なし蝶かんかんと触れ合いて       兜太

 熊谷(武蔵野北辺)に居を得たあとの句。ここからは秩
父連山がよく見え、秋から冬の、空気の澄んでいる時季に
は、その南に連なる多摩相模の山山の上に、富士が冠雪の
上半身を見せてくれる。

 この句は、夏の陽ざしのなかの蝶を見ていてできたもの
だが、蝶の触れ合いの音をきき得たときを、蝶の〈自然〉
に触れることができたと信じた。この〈自然〉が〈物象
感〉の支えでもあるとおもったものだ。

林間を人ごうごうと過ぎゆけり         兜太

 同じ〈自然〉を、人間にも感受し得たとおもったとき。
「不易流行」を思い、この実現を身に課して、「流行」を、
人々と天然の〈現実〉とし、「不易」を、その〈自然〉と
する思考が定着しはじめたときでもある。〈秩父の風土〉
が、その〈現実〉と〈自然〉のために、ますます身にしみ
てくる。

暗黒や関東平野に火事一つ             兜太

 その間に、こういうまったく想像の句を多作している。
これは、関東平野を走る、真昼間の列車のなかでとびだし
てきたものだが、日光中禅寺湖の紅葉を見たあと、「赤い
犀」一連がとびだしたこともある。この、現実に向って想
像力がのびのびとはたらく時間に、私は自分自身の〈自
然〉を感受することが多い。

骨の鮭鴉もダケカンバも骨だ             兜太

 北海道阿寒国立公園を旅したときの句。すでに冬の気配
で、ダケカンバは白骨の幹をさらし、鴉は、冷えた空を、
骨を透かせてとんでいた。湖畔にアイヌの人影、そして鮭
の骨の散乱などを想像しながらゆく。すべて「骨」。その
悠遠。

『現代俳句全集二』〈1997年10月、立風書房〉所収)
左が千侍氏です。

秩父の土と兄      金子千侍

①曼珠沙華どれも腹出し秩父の子
 水脈の果炎天の墓碑を置きて去る
 よく眠る夢の枯野が青むまで

②曼珠沙華どれも腹出し秩父の子
 昭和初期の秩父の自然と生活が叙情詩
のように詠まれております。口遊むたび
に私の少年の秩父が映像となってよみが
えります。

③電話に出る兄の一声「おー兜太だ」、
九歳下の弟にも、ずっとこの調子です。
兄は腰の据った人間味のある温かい人。
お仲間や人々を大切にします。兄の第一
句集『少年』で、私は初めて兄の凄いも
のを知りました。
 秩父の土壌という心底から湧き続ける
生々しい凄烈な感性、その作品は人間と
森羅万象に新鮮さを甦らせているので
す。私は、この鋭い気力をもって前進し
続ける兄・荒凡夫に限りない魅力を感じ
ております。


兜太が戦時下にトラック島で仰いだ南十字星を
ぼくは戦後になって見た。   浅井愼平

 峡の底裸童光となり駈ける
 網乾す人きららの様を背に
 あがく蛾を指にあがせてぃる月夜

 金子兜太はオーネットーコールマンに
似ている。コールマンはフリー・ジャズ
のミュージシャンで、モダンの中でも抜
きんでたアバンギャルドとして知られて
いた。そんな比喩で兜太さんを語る訳に
はいかない。それで困ったが、ぼくは兜
太さんがフリー・ジャズのように書き残
した俳句のひとつひとつのフレーズを追
いながら、ため息をつき、膝を揺すり、
胸を熱くするのだ。そして、ときどき兜
太さんはぼくと同じような「内部にある
風景」を見せてくれる。たとえば「路地
いくつ曲れど白き月」はぼくの夢のスタ
ンダードの街の風景そのものなので驚い
てしまう。兜太さんとは同じ街に住んで
いるらしい。今日も喫茶「青鮫」でお会
いできそうだ。

 つまり怪物である    嵐山光三郎

 魚雷の丸胴蜥蜴這い廻りて去りぬ
 二階に漱石一階に子規秋の蜂
 酒やめようかどの本能と遊ぼうか

 兜太さんは本能の人である。生き物感
覚で自在に俳句を詠み、ピカピカにまっ
さらである。虚飾がなく、見栄がなく、
遠慮もなく、ガキ大将がそのまんまジー
サンになったようで、オーラがある。
 純粋ムクである。カッカッカツと笑っ
ている。土着と宇宙の両面をもってい
る。精悍である。即物である。反戦であ
る。人間の煩悩具足五欲を食って生きて
いる。つまり怪物である。

 いつだったか、NHKテレビで対談を
したとき、最近の句はなんですか、と訊
いたら、台本の表紙をビリツとやぶっ
て、〈酒やめようかどの本能と遊ぼうか〉
と、万年筆で書いて渡してくれた。台本
の表紙裏に書かれたこの一句は、私の書
斎の壁に貼ってあります。

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