2016年3月2日

№2 金子兜太の世界 自作ノート

群馬県玉原にて

もまれ漂う湾口の筵夜の造船     兜太

 神戸港の防波堤には、昼間はたくさんの鷆がとまって
て、防波堤にそって湾口にくると、潮が蒼黒く厚ぼった
盛りあかっていた。防波堤のなかの潮は、箱庭のなかの
うに人工的でやさしかったが、湾口の潮だけは、獣のよ
に蠢いていた。

 そのなかに、筵が一枚、沈みきりもせず、むろん海上
浮上もしないで、中途半端な状態で漂っていたのである・
それを見て帰った夜、この句ができたのだが、港につきが
した造船会社のドックには、建造中の船がいて、夜は満艦
飾といえるほどの作業灯をつけていた。しかし、その灯が
映る湾口の潮のなかには、一枚の筵が、暗くもまれ漂って
いたのである。その筵の無気味さ、眼の強さ。

 当時、俳句における社会性とは何かについて活溌な論議
がおこなわれていたが、私は「社会性は態度の問題」と港
めて、自分の内部秩序个王体〉の確立に意をそそいでい
た。〈主体の表現〉を俳句の方法としたのもこの時期であ
る。「銀行員ら朝より蛍光す烏賊のごとく」とか、「夜の果
汁喉で吸う日本列島若し」「山上の妻白泡の貨物船」「強し
青年干潟に玉葱腐る日も」「白い人影はるばる田をゆく消
えぬために」「車窓より拳現われ旱魃田」などと多作して
いた時期でもある。

華麗な墓原女陰あらわに村眠り       兜太
 
 神戸から長崎に転勤して、二年半ほどいた。原爆被災の
中心部(爆心地)を歩きまわって、「彎曲し火傷し爆心地
のマラソン」「広場一面火を焚き牙むく空を殺す」などと、
原爆呪詛の句をつくり、併行的にキリシタン殉教の地への
想いをふかめていった。「殉教の島薄明に錆びゆく斧」「青
濁の沼ありしかキリシタン刑場」「司教にある蒼白の丘疾
風の鳥」ななど、この重層した想念のなかに掲記の句が
ある。

 野母半島をゆき、突端の脇岬にちかい海岸に、砂丘に似
た大きな丘を見た。その全体が墓地で、墓石も見事なもの
が多かった。このあたりは隠れキリシタンの地ともきいて
いたから、そのせいかとおもったが、あるいは、ついこの
あいだまで殷賑をきわめていた鰯漁の名残だったのかもし
れない。

 しかし一方では、鰯がこなくなった一帯の漁村は零落の
みちをたどり、村はさびれ、汚れていたのである。その極
端に対蹠的な情景-死のにぎわいと生の退廃の対照のな
かにいて、私は、退廃の生か燃やす、猥りがましくもまた
なまなましい性の日常をおもわないわけにはゆかなかっ
た。

 この句は、退廃の現実を描いただけで、それを捲きかえ
してゆく批評力に欠ける。したがって、この句じしんも退
廃している、と評した人がいたが、私にはその批評が貧し
いものにおもえてならなかった。退廃の現実を想像力豊か
に、ゆるぎなく書ききることこそ、最高の批評である。
句会中の金子兜太
目を閉じ発言者の評を一言も漏らさず聞きその評が不適切な場合反撃し持論を展開。

怖ーい存在!!

粉屋が哭く山を駈けおりてきた俺に          兜太

 それと関わって。この句の野性味――からだごととびこ
んでゆくリズム感と、そこに盛りあがる野性の味わい――
に、私は愛着している。当時、さまざまな鑑賞や解釈があ
つたが、句意は単純明快、要するに、山から駈けおりてき
たとき、麓のあたりに水車小屋があり、粉屋のおじさんが
いたのである。笑っていたが、粉のついた顔は泣いている

ようにも見えて、山の子のように陽やけして駈けてきた私
は、ついつい「哭く」とからかってみたくなったのであ
る。泣くでなく、慟哭の哭という字のしかつめらしさ、重
重しさのなかに、私の粉屋さんにたいする、からだからの
親しみもこめられているはずである。野性バンザイ。想像
カバンザイ。

わが湖あり日蔭真暗な虎があり      兜太

 長崎から東京に移って、どこかの山湖に出かけたときの
句。初夏。湖は厚い緑で囲まれ、その日蔭に虎をひそませ
ることは容易だった。想像のなかで、湖は自分の領域とな
り、虎は待機の姿勢を充実させて、黒黒と伏せていた。

 待機といっても、次の行動への野心といったものではな
い。私の場合、社会的行動はすでに頓挫していて、もっぱ
ら自分いちにんに執し、その〈主体の表現〉を俳句にもと
めていた。方法を〈造型〉と名付けて書いているうちに、

いつのまにか「前衛」というものになっていて、「啓蒙家」
といわれ、「俳句の花園を荒すもの」といわれ、何何主義
者でもあるらしかった。私にとって、〈自由〉こそすべて
で、自ら〈自由人〉たらんとして俳句をいじりまわしてい
たのに、なかなかツボにはまった渾名がもらえなかったよ
うである。いまでもそうだが、短詩形の世界での、思考や
情感の硬直現象にはうんざりする。
 しからば待機とは。わが〈存在〉の湖の〈自由〉。
 
無神の旅あかつき岬をマッチで燃し    兜太
 竜飛岬にゆき、夜明けに起きて、ひとり岬の突端を歩い
た。タバコに火をつけると、火は岩肌を照らし、岬全体を
燃した。竜飛岬は燃えながら遠のいて、一本の黒い指のよ
うに小さくなり、そしてまた戻ってきた。妙に、自分と、
この荒涼たる岬の夜明けの実在感が鮮明だったのである。

 それだけにかえって、私は神を感じた。単に感じたとい
う以上に感じて、この旅の旅情に加えて、私の人生の旅程
への想いを呼びおこしさえした。私は無神論者だが、こん
なときは、その「無神」ということばが、ひどく感傷的に
ひびきもするのである。
 この時期あたりから、私は〈伝統体感〉ということを考
えている。

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