2016年12月19日

兜太の語る俳人たち 『金子伊昔紅』

遠い句―近い句』 富士見書房  [1993年4月]
○伊昔紅と秋桜子  ○楸邨と波郷 ○初期「馬酔木」の人々 
○出沢珊太郎のこと ○「成層圏をめぐって」
○竹下しづ女への親近 ○嶋田青峰との出会い○清貧を詠うひと
○銃後の町 ○肺碧きまで
○堀徹の青春 ○草田男の全人的投入 ○楸邨と隠岐 
○即物的抒情の二人○新情緒主義、横山白虹
○ビストルと露   ○月夜の葱坊主 ○「伐折羅」群像

『遠い句・近い句』より抜粋 1993年刊


金子伊昔紅(1889~1977)
金子兜太の父で農山林医として結核撲滅に貢献する一方、俳人としても「馬酔木」の同人で、水原秋桜子や高浜虚子らと親交があった。粗野だった秩父音頭を現在の形にし普及に努めた。

蚕卵紙青みぬ春のはたたがみ      金子伊昔紅

 水上にいる春雷の句が出てくると、どうしてもこの句が無視できなくなる。そして、この句のような、かなりに洗練されたものを頭にとどめるようになるのは、もう青年期に入ってからのことだった

 春雷を聞く頃になると、蚕卵紙(種紙)が青みはじめ、やがて毛蚕(けご)が生れて、育ってゆく養蚕農家の春から夏は、蚕卵紙の青みにはじまり、旺盛に桑の葉を食べる蚕とともにある。桑の葉を食べる葉騒のような音が消えると、白い繭を結ぶ。
 
 秩父は田がほとんどなく、畑地も少ないので、養蚕で暮しを立てる農家が大半だった。明治17年(1884)の秩父事件も、繭・生糸相場の変動が直接の原因になっている。昭和後期から平成のいまでも、秩父には養蚕をおこなう農家が多いのだ。

 伊昔紅の患家に養蚕農家が多いことは、したがって当然で、蚕飼で忙しさの極みにある家を訪ねるときは、気をつかったのだろう。ところが山の農家は義理堅くて、医者を見ると、できるだけのもてなしをしようとする。伊昔紅にこんな句もある。〈客に打つうどん蚕飼に惜しき手間〉。

 私の記憶のなかにも養蚕のことがずいぶん積っている。戦争から帰ってきて、すぐ結婚したとき心句に、〈朝日煙る手中の蚕妻に示す〉があるのも、そのためである。

 伊昔紅の「蚕卵紙」の句は、そんな回想を呼びおこしてくれるのだが、作品の出来ぐあいとして目ても、「蚕卵紙」と「はたたがみ」との語感の照響(こんな言い方をさせてもらう)がなかなかだとおもう。

「はたたがみ」の語感には、紙のさわさわと鳴る感じがあって「春の」とくると、よけい明るい。まるで、青みはじめた蚕卵紙の音そのもののように感じられてくるのである。
「いや、ありゃあカミナリさんだよ」と笑う気分もあってー。



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