2016年5月17日

金子兜太の教科書掲載句解説

鸞曲し火傷し爆心地のマラソン   句集『金子兜太句集』

Twisted and seared
the marathon at the center
of the atomic explosion    (英訳・海程同人 小長井和子)

初出は、「風」昭和33年4月。

 年譜では、2月、長崎丈店に転勤。隈治人に会う。原爆被災の浦上天守堂に近い山里の行舎に住む。
「鸞曲し火傷し爆心地のマラソン」を得。真土、山里小学校に転校。皆子雀を育てる。稲佐山の夕景、グビロヶに、原爆忌俳句大会。春、飯田龍太来、晩夏沢本夫妻、太郎、西垣脩、小田保来。

『短歌長崎』主宰小山誉美に会う。五島列島、雲仙、唐津、佐世保、門司、野母半島にゆく〕とある。兜太39歳。35年4月までの 2年半にわたる長崎での生活であった。

長崎の行舎に住むようになってからは、時間を見つけては爆心地
周辺を歩き、 いたるところに被爆の傷あとが残っているのを見聞してつくったのが「鸞曲し」の句。
 
兜太はこの句について、次のように書いている。ある晩、なんとなく国語辞典を繰っていた私は、ふと「鸞曲」という文字に気付いて 、眼が離れなくなった。しばらく見つめているうちに、さらに、「火」ということばが 出てきたのである。そして、その二つのことばを背負うように、長距離ランナーの映像があらわれて、その人は、いまこの地帯で生活している人々と重なった。しかし、次の瞬間、その肉体は「鸞曲し」 そして「火傷」をあらわに
したのだった。
     (「定型と人間」『わたしの俳句入門』昭和52年有斐閣・刊)

「造型」の方法が鮮明な句である。「創る自分」の意識活動が活発に行われ、イメージの 重層が見られる。 それは「鸞曲し火傷し爆心地の」と、原爆投下の地という強烈なイメージとリズムを 重層させることにより、爆心地としての長崎の惨状を浮かびあがらせ、そこに「マラソン」を 配することで、時間を現在へと引き寄せ、長崎の街をマラソンランナーが体を曲げて、 喘ぎながら力走していくイメージを二重写しさせている。
 そして、このマラソンランナーのイメージは、また原爆投下の惨状へと遡行し、 時代を経ても消えない精神の傷痕に訴えてくる。「鸞曲し火傷し」に、 なまなましい現実性と飛躍したイメージが
重なっている。「火傷し」は、「かしょうし」と読む。


昨日は長崎に原爆の落とされた日でした。こんな日が二度とあってはならないが、フクシマと重なる。浦上天主堂で被爆したマリア像、通称「被爆マリア像」も悲しむ3.11。

金子兜太の100句を読む   酒井弘司  飯塚書店 

銀行員等朝より蛍光す烏賊のごとく     金子兜太
 (ぎんこういんら あさよりけいこうす いかのごとく)
 句集・『金子兜太句集』 初出は昭和31年7月号

  (「俳句造形について」から引用)

 前日、尾道から帰ってきました。尾道では向島にある水族館をみましたが、烏賊が青白い光を体内に発光しつつ泳いでいる様子が至極印象的でした。朝、潮風と日焼でや、粘々した皮膚に健康感を覚えながら銀行へ出勤します。

  (略)「店内は天井は高いのですが壁が多いため薄暗く、一人一人の前の蛍光燈がつけられ、その光に依存します。 静かに、朝のきれいな空気のなかで、しかも薄暗いなかで、みなやや背をまるめ (規程集などー筆者註)読んでいます。深海に蛍光を発つつたたたずまう烏賊のような状態ー僕はそう結論します。

 (略)僕は座席に座って、これは俳句にしないといけないと思いはじめました。新聞を読んでいるふりをしてその感覚の吟味に取りかりました。僕の「創る自分」が活動を開始したわけです。 (略)暗い朝の店内の人達は、一人一人がわびしく蛍光を抱き、しかし魚族特有の生々した肢体で、イメージのなかに定着したのでした。これでよし、と僕は思いました。銀行員等ーの「等」も従って必然の言葉なのです。群としての銀行員が大切なのでした

  湾曲し火傷し爆心地のマラソン    金子兜太
  (わんきょくしかしょうし ばくしんちの マラソン )
  句集『金子兜太句集』  初出は「風」昭和33年4月 
  「中年からの俳句人生塾」より引用

 昭和二十(一九四五)年八月六日広島に、九日長崎に、原爆が投下された。この大惨禍をふかく恨み悼んで、原爆忌、広島忌、長崎忌、そして爆心地などの季語が生まれた。被爆後十三年の長崎に、わたしは住んでいた。爆心地に近い丘の上の社宅から見渡す全景は黒焦げしている印象で、浦上天主堂は崩れたまま。いまだに庭から人骨が出るなどともいわれていたーむこうの丘を越えてマラソンの一団がくる。しかし爆心地に入ったとたんに、ランナーはひどくやけどし、体がゆがんでしまった。列とばらばら。わたしはこんな映像にとらわれていたのである。

 いま、原爆資料館前に「原爆句碑」がある。昭和三十六年夏、原爆公園の前に建立され、ここに移設されたのだが、十二人の原爆句が刻まれている。そのなかには、一家が被爆し、自分だけ辛うじて生き残った桧尾あつゆきの「なにもかもなくした手に四枚の爆死証明」
や、これも地元の隈治人の「武器つくるけむりが原爆忌の夜雲」などがあり、わたしも加わっている。
 
 白い人影はるばる田を行く消えぬために   金子兜太
 
 句集『少年』初出は「寒雷」昭和30年8月号
 俳句・深層のコスモロジー (Series俳句世界 (5))より引用

金子
  あれは津軽に行って、現実に早春の農家の人達が頬被りをしていて体が冷えている感じだったんですよ。しかし、もう白い花々が咲いていたわけです。それだけのことなんですね。 それをそのまま書いた。だから私の頭の中ではむしろ営農の辛さというか、津軽の農家の人たちへの思いを書いた。ところが後輩の若い連中がこれを読むとね、「人体冷えて」は日本列島全体で人体全体がえているようなそういう季節感、そして東北はいま白い花盛り、はるばるとした想望の句としてね、イマジネーションの句としてとられていますね。

復本  僕は東北の美を歌ったという印象でした。

金子  ええ、復本さんのは中間なんですね。もっと若い人たちはねもっと一般的に自分の体が冷えてる、東北は白い花、その辺の関わりというか、そこに限りなく季節の感情をかき立てられるということがあるようです。

復本 僕もこの句は金子さんの作品の中で非常に好きな句です。

金子
  私は非常に意識的にリアリスティックに作ってきたつもりなんだけれども、どうもはみ出し部分、無意識部分が残るってことですね。

復本 
 そうですね。先ほどからいろんな方がおっしゃっているように、作者の意図した以外のものが作品に多く出ている。

金子 ええ、それが多様な解釈ということですね。

  
上記の三句は教科書に掲載されています。

時々、金子兜太の句について先生や学生さんから問い合わせがある。同じ句が多いので伺ったところ教科書に載った句のようだ。金子先生自身の語った俳句の作り方や季語自句の解説などアップしておきますので参考にして下さい。 
                                                  (管理人) 

0 件のコメント:

コメントを投稿