2015年10月30日

兜太の語る俳人たち 『芭蕉』 

 (奥の細道・千住旅立ち:元禄2年3月27日)

 栗山理一先生の『俳諧史』は今でも私にとってはバイブル的な本でございます。あのなかで先生は、芭蕉の基本の考え方を「物の微と情の誠」というタイトルで書いています。

ものの微妙なところ、デリケートなところ、それに情の誠が触れ合う。ものの微とこころの真実が触れ合う。この時点がいちばん大事だと書いているのです。これが表現論の基本である。先生はそんなことは言ってませんが、私はそう受け取った。つまり、これが実現できればいい俳句ができる。そういうふうに私は受け取っています。

 そうしたら、ついこの間も、こういうところでデタラメを言ってもまずいと思ったから、少し調べてみたのですが、芭蕉が最後に「軽み」に来て、「軽み」で考えたことがものの微と情の誡、ものと心のバランスというふうに私は自分なりに訳しているんだが、ものと心のバランスということを芭蕉は考えていた。

それがうまく行ったときに「軽み」が実現する基本ができる。それをやるためには初心に帰らなければいけない。三尺の童子に作らせたほうがいいとか、あれもそれですね。あるいはものの見えたる光が消えないうちにつかまえろと警視庁の役人みたいなことを言ったのも(笑)、そこなんですね。

ものと心のバランスの瞬間をつかまえろ、それが第一だ。物の微と情の誠が触れ合った瞬間をつかまうろ、それが第一だ。ものの微と情の美が触れ合った瞬間、それをつかまえろと言っておる。

 今の学者の方も「軽み」について大体その考え方をお持ちなのではないかと思うのです。しかし、表現論ということを考えたとき、ものの微と情の誠の触れ合い、それを捉えていくことが非常に大事だということを私はしみじみ思います。

2015年10月29日

兜太の語る俳人たち 『種田山頭火と尾崎放哉』 

山頭火
  山頭火の放浪は、すでに早大在学中にはじまっている。小川未明と併称されたこの才能は、いつも泥酔のなかにあった。そして、帰郷後は、しだいに行乞のくらしにはいり、一生の大半を放浪のうちにすごしたが、その間、荻原井泉水に師事して自由律の俳句を作りつづけた。短唱にすぐれたものがある点、ほぼ同じ時期、漂泊のうちに死んだ尾崎放哉と
似ている。漂泊者の詩は短いものか。
 
 山頭火の放浪を、幼年期から青年期にかけての挫折経験(父の女狂い、母の自殺、家の没落)から理解することは容易いが、それが決定因であったかどうかはわからない。本性顕現への、ちょっとした契機にすぎなかったかも知れない。
放哉

2015年10月28日

兜太の語る俳人たち 『蛇笏・龍太』

ホトトギス主観派と蛇笏・龍太

 その後も、何度も龍太を中心に語られるという時代が続きました。
ちょうど、高度成長期の始まりと東京オリンピックがあったあのころ、
そして今でも、ずっと龍太時代が続いているように思うんです。
飯田隆太

飯田龍太という俳人は、相当にしぶとくて根強い作者ですな。しかも、いい後継者がいるということは、めったにない話ですね。

「ホトトギス」という雑誌が、大正の初めに出ましたね。高浜虚子が有季定型をスローガンに掲げ、今、稲畑汀子さんが三代目です。「ホトトギス」を愛している方が全国にたくさんおられます。

2015年10月27日

兜太の語る俳人たち 『原子公平』

「俳句研究」平成2年3月号口絵より

「寒雷」の同期生     原子公平 (1919~2004)

 敗戦のあとトラック島(現チューク)から還ったときも、そこへ出発したときも、小生は、当時小石川の原町に老母と二人でアパート暮らしをしていた原子公平の部屋にいた。そこから出発し、そこに帰ってきたと言ってよいほど、小生にとって原子は頼りになる同年の友人だったのだが、その原子が先ず小生に見せたのが、
 
 戦後の空へ青蔦死木の丈に満つ

だった。アパートをでると直ぐ爆撃で、死木となったこの欅の大樹があり、その向こうは一面の焼野原たった。

 健康すぎると思いつつ、いつのまにかこの明るさに引かれていたことは間違いない。小生は原子の代表句の一つにしてきたが、少し世代の後の人の評判はよくない。それも分かるのだが、しかしいまも小生はこの句を好んでいる。

 この健康で楽天的な一面があって、「良く酔えば花の夕べは死すとも可」のような句もつくる。「俳句と社会性」で山本健吉とやり合い、戦後俳句不毛説の飴山賓と論争もした。

 彼が死んで骨となったとき、その骨の白く逞しいのにおどろいて、小生は思わず次の句を含む五句をつくったことを忘れない。

「夕べに白骨」などと冷や酒は飲まぬ  兜太

   
 (注)同期生とは同年齢で同じ年に「寒雷」に入会した者。

2015年10月26日

兜太句を味わう「霧に白鳥白鳥に霧というべきか」

http://matujii.exblog.jp/17104751

霧に白鳥白鳥に霧というべきか        金子兜太

 ことしの三月から七月末までで、体重を六キロ減量することができた。以来いままで変化がないので喜んでいる。

 減量した理由は、糖尿の兆候があるから太りすぎを解消しなさい、と医師からいわれたのがきっかけだが、自分でも気にしはじめていたときだったので、さっそく実行に着手した。なによりも、同居している息子の嫁さんの食事管理がありかたかった。加えて、細君が横でにらんでいて、チェックする。

 運動は、俳句のことであちこちに出歩き、しゃべることが多いので、それだけで十分とはおもっていたが、さらに意図して、おしゃべりも立つたままでやるようにしたり、目的のところまで歩くようにしたりした。駅で列車を待つあいだもホームの上を歩く。なにをはじめたか、とけげんな顔で見ていた人も、しばらくするとニコニコする。   
         
 機会をみては歩く、ということに、毎日の散歩と同じ効果があると話したところ、俳人の川崎展宏いわく、「ぼくは歩くと手が重いので散歩はしないのだが、それはいいや。まねをしよう」――歩くと手が重いとはおそれいったことで、なんのことやら分からない。いや分かる気もする。

 朝の目ざめぎわの夢に、白鳥と霧のとけ合った幻想風な美しい映像を見ていた。ずいぶん前にこの句ができて、その後もときどき夢に見るのだが、こんなときは体調がよいのである。

                          (老いを楽しむ俳句人生)

人気の投稿