2015年9月20日

加藤楸邨の語る金子兜太 (金子兜太・安西篤著)


加藤楸邨の語る金子兜太 (金子兜太・安西篤著)

 兜太は、一見豪放磊落な態度の内側に、温かく繊細な感情をたっぷりと湛えていた。それは、一度会った人の心に強い印象を与えずにはおかないものである。

よく兜太の作・論にはついてゆけないという大でも、その人間的魅力には抗し難いという大は多い。兜太とかんかんがくがくの議論をした後、囗もききたくないほどの不快感を持続できる大は少ない。


晴朗で男らしい気っ風と、滲み入るような愛嬌に気持ちを開かされてしまうからだ。これは、片き囗の兜太のタソな論理を、広く浸透させる上でも有力な武器となったはずである。しかもその論理は、決して弱者に向かうものではなく、自らの内面にある敵に向かう。

 彼は何かに挑みかかってゐるときは、決して対者を罵倒してゐるだけではないやうである。
 自分の内側に自分の敵をはっきりと感じとり、それを圧服するために、始めは冷静に、論理的に、やがて心裡の敵を強力に意識するにつれて、気息を加えて一気に圧倒し去ろうとする。だ から、彼は決して弱い者を叩かうとはしない。彼が叩かうとするのは、それに対してゐると、心裡の敵を意識せざるを得なくなるときであるらしい。

金子兜太といふ男が珍しい存在だと思ふのは、さういふ知性とか、論理性の卓抜してゐる正にその裏側に極めて感性的な、煮えたぎった溶鉱でも見るやうな原始的な力の存在が感ぜられることだ。これは多かれ少なかれ誰にでもあることにちがひないが、金子兜太といふ男には、それが極端に近いまでに内包され、しかも殆ど見分けられないくらゐ緊密に重層的に存在してゐるのである。

 だから、非凡な社会や時代に対する新しい感覚に驚かされると同時に、極めて律義な、一徹な、古風な義理人情から出たのではないかととまどひを誘ひだすやうなところがとびだしてくる。これは彼の教養と、その底に培はれて来た郷土的なものとが微妙に浸透しあって、金子兜太といふ男を形成してきてゐるためであろう。

楸邨は兜太の文章について次のように述べている。

 金子兜太の文章をよんでゐると、ところどころに妙な継目が見えてくる。しかし、その点にいたると逆にそこにかなり強引な、しかし白熱した気息が加はって、どうしてもひきこまれてしまふ。(中略)その継目からほとばしる原初的気息の力はすばらしい。

(「俳句」昭和四十三年十月号〈金子兜太といふ男〉加藤楸邨。)

昭和26年福島県土湯温泉で加藤楸邨と

兜太は昭和16年に楸邨主宰「寒雷」に投句を始めた。
先生によると、楸邨は弟子たちを自分好みにせず自由にやらしたそうです。
兜太の句が取られずかっかして楸邨に文章を書き突きつけると何も言わず
 「寒雷」に掲載したと言う。
度量の大きかった加藤楸邨の寒雷からは多くの俳人が出ました。

青柳志解樹(「山暦」) 石寒太(「炎環」) 石田勝彦(「泉」)今井聖(「街」) 岡井省二(「槐」) 金子兜太(「海程」)川崎展宏(「貂」) 岸田稚魚(「琅玕」) 小西甚一  小檜山繁子(「槌」)齊藤美規(「麓」) 澤木欣一(「風」) 鈴木太郎(「雲取」) 田川飛旅子(「陸」)照井翠  原子公平 (「風涛」) 平井照敏(「槇」) 藤村多加夫古沢太穂(「道標」)森澄雄(「杉」) 矢島渚男(「梟」) 和知喜八(「響焔」)



「語る兜太」によると  (Amazonにあります)

加藤楸邨(1905-93)と中村草田男(1901-83)
子規以降、楸邨と草田男の右に出る人はいない。楸邨の「真実感合」
は本物で、身心を打ち込んで創る。人間の生の声を吐き出す。草田男は
俳句という文芸形式を、とくに季語を多とし、西欧文学の教養を活かして
創る。その俳句は多彩柔軟、実験を辞さない。私の好きなのは草田男俳句
だが、学ぶべき師は楸邨。お二人の正月句をにこやかに賞味したい。

楸 邨  「初日粛然今も男根りうりうか」
草田男 「何か走り何か飛ぶとも初日豊か」
「金子兜太」安西篤 (読みたい人は竹丸が取り次ぎます)

兜太が楸邨の主宰する寒雷に入ったのは昭和十六年二十二歳の時であったが、
一方で草田男の指導する「成層圏」句会にも顔を出していたから、楸邨、
草田男の両方にまたがって師事していたともいえる。
しかし『わが戦後俳句史』によれば、兜太は自らの戦後俳句の出発に当たり、
「人間としての楸邨」を師とし、「俳句の目標を草田男」に置こうと決めたと
述べている。
楸邨は第三句集『穂高』の自序で次のように言う。

人間を生かし、自然を生かすことは、自然自身の生き方で生かし、人間自身の
あり方で生かさなくてはならぬ、小主観で左右しがたい厳たるものの前に
立たねばならぬ。それが最も正しい人間の俳句である。

兜太はこのような楸邨の「悪くいえば自己中心的、よくいえば自分に対して


厳しい目を向ける生き方、そういう積極性」にひきつけられていた。

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