2015年8月30日

蛇笏賞受賞挨拶と「東国抄」50句

2002年6月号 俳句

第36回蛇笏賞 金子兜太受賞挨拶

 昨秋から今春にかけて、同年の俳人の死が相次いだ。沢木欣一、三橋敏雄(二年歳下だが)、佐藤鬼房、安東次男(詩人というべきか)。昨日(四月十六日)、その安東の葬儀にいってきたばかりである。

 いわゆる戦後俳句の渦中をともに過してきた同年者といえば、あとには、原子公平、森澄雄、鈴木六林男、私の四人を残すのみ。

 欣一の死のときは、電話で公平と、鬼房を告別する集まりが塩竈で行われたときは六林男と、次男のときは澄雄と、頑張って生きようや、と声をかけ合ったものだったが、一人になっても、これからもしぶとく生きて俳句をつくりつづけるしかない、と自分にいう。

 一九一九年生れ、つまり一句一旬しか能のない男と思い定めよ、と自分を励ます。顔を死に向けての世迷い言はいうまい。虚勢と見られようとも、「死んで花実が咲くものか」といいつづけていきたい、とも。――この言い草は、長崎の俳友隈治人が、病に倒れたあともずうーといいつづけていた由。治人のあとを継いで「土曜」を主宰している山本奈良夫から聞いた。

俳句は「日常詩」。一般性のなかに一流性を抱懐するものなり。その日常を生生しく、深く、生きていきたい

『東国抄』抄五十句  金子兜太

よく眠る夢の枯野が青むまで
夢の中人々が去り二、三戻る
  霧多布岬(二句)
霧多布集落は海流の静けさ
海鳥の糞にたんぽぽ大楽毛(おおたのしげ)   大楽毛は地名
じつによく泣く赤ん坊さくら五分
  堀葦男を偲ぶ
藤の実を掴みて葦男「おう」と言いき    
木は気なり黒姫山に雨が降る
意を燃やせ烏賊大漁の隠岐にあり
「天地大戯場」とかや初日出づ
鳥渡り月渡る谷人老いたり
臍に陽を当て目指す長寿や春日遅遅
雨蛙退屈で死ぬことはない
腹巻して狸のごとし平凡なり
  悼 杉森久英先生
空つ風痩身の師の瓢とありき
  奥利根1句
ツキノワグマを言魂と見て昼餉どき
  悼 林紀音夫
無季に徹すと言い切りし冬の塑像
妻病めり腹立たしむなし春寒し
妻病みてそわそわとわが命(いのち)あり
春の鳥ほほえむ妻に右腎なし
昼の蚊に水牛の眼の大きさよ
青銅の群肝(むらぎも)白露賑わえり
寒紅梅春まで咲きもし寛ぎや
雪中に飛光飛雪ま今(いま)がある
待ち合わせ向こうの電車俳人ばかり
河馬の鼻に指入れたしと春の稚児
利根川と荒川の間(あい)雷遊ぶ
夏果ての東国馬糞懐しや
曼珠沙華男根担ぎ来て祀る 
  悼 平畑静塔
知熟して諧謔多産花野の人
よく飯を噛むとき冬の蜘蛛がくる
ここまで生きて風呂場で春の蚊を掴む
胆大小心磊落繊緇穴を出づ
 悼 石原八束
世話好きの八束いま亡し牛蛙
光りの廊虐殺史の浩瀚が置かる
小鳥来て巨岩に一粒のことば
人の足確と見えていて雨月なり
登高す牛糞は踏むべくありぬ
冬眠の蛙のそばを霧通る
  悼 飴山實 
黄砂ふる幾日重ねて君を待つ
  悼 島津亮               
椅子にもたれて若き日の鷹他界せり
明石原人薄暑のおのころ島往き来
暁闇を猪やおおかみが通る
おおかみが蚕飼の村を歩いていた
おおかみに螢が一つ付いていた
おおかみを龍神(りゅうがみ)と呼ぶ山の民
龍神の両神山に白露かな
龍神の障(さえ)の神訪う初景色
狼生く無時間を生きて咆哮
月光に赤裸裸な狼と出会う
ニホンオオカミ山頂を行く灰白なり


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