2015年8月1日

「金子兜太句集」風発行社


『金子兜太句集』 風発行社([半島」を収める) 

定価250円 1961年7月刊 

(句は春陽堂俳句文庫「金子兜太」から)

娼窟に縄とびの縄ちらちらす  (神戸18句)

平和おそれるや夏の石炭薦かぶり
少年一人秋浜(あきはま)に空気銃打込む
港に雪ふり銀行員も白く帰る
夜の餅海暗澹と窓をゆく消えぬために
原爆許すまじ蟹かつかつと瓦礫あゆむ
車窓より拳現われ干魃田(かんばつでん)
青年鹿を愛せり嵐の斜面にて
人生冴えて幼稚園より深夜の曲
激論つくし街ゆきオートバイと化す
朝はじまる海へ突込を攻め
悄然たる路上の馬を雛の間より
白い人影はるばる田む鴎の死
山上の妻白泡の貨物船
銀行員等(ら)蛍光す烏賊のごとく
強し青年干潟に玉葱腐る日も
もまれ漂う湾口の筵夜(むしろよ)の造船
豹が好きな子霧中の白い船具
湾曲し火傷し爆心地のマラソン (長崎にて 10句)
暗い製粉言葉のように鼠湧かせ
華麗な墓原女陰あらわに村眠り
岬に集る無言の提灯踏絵の町
青濁の沼ありしかキリシタン刑場
森のおわり塀に球打つ少年いて
殉教の島薄明に錆びゆく斧
手術後の医師白鳥となる夜の丘
粉屋が哭く山を駈けおりてきた俺に
殉教の島薄明に錆びゆく斧
手術後の医師白鳥となる夜の丘
粉屋が哭く山を駈けおりてきた俺に 

金子兜太「戦争と俳句」を読む

金子兜太
  トラック島にて 六句
重油漂う汀果てなし雨期に入る

古手拭蟹のほとりに置きて糞(ま)る

被弾の島赤肌曝し海昏るる

魚雷の丸胴蜥蜴這い廻りて去りぬ

被弾のパンの樹島民の赤児泣くあたり

水脈の果て炎天の墓碑を置きて去る

 戦後日本 四句
彎曲し火傷し爆心地のマラソン

三月十日も十一日も鳥帰る

被曝の人や牛や夏野をただ歩く

今も余震の原曝の国夏がらす


 金子兜太の「戦争と俳句」を読む
  
著書『悩むことはない』より           安西  篤

 まず、『悩むことはない』(2011年文藝春秋社刊)の構成についてみておこう。全体が語り下ろしの形をとっていて、兜太の明快率直でユーモラスな語り囗が存分に楽しめる。しかも内容は体験に即しか真実に裏付けられている。全く借り物でない人生観なのだ。

 第一章〈問われて笞う〉は、兜太現在の生活信条や生きざまを、率直に述べている。要点は、[ありのまま]に生きることに尽きる。幸・不幸や使命感、倫理などに捉われない本能的な原始感覚で、全てを受けて立つ生きざまがある。

 第二章〈生い立ち来たるところ〉では、その生きざまをもたらした故郷秩父の原風景を描く。そこにある糞尿と土への親しみが、「生々しい」ものを基本においた純粋経験につながり、物を判断する尺度となった。「生々しさ」は、「生きもの感覚」によって、物に即し、相手と抱き合えばいい。生々しい人間を書くことに徹するのが俳句のあり方だ。自分はそれに徹底してきたから、「自分自身が俳句の塊りである」と言い切ることができる、と兜太はいう。

 そして第三章〈戦争と俳句〉へ引き継がれる。
 兜太の戦争体験は、昭和十九年から二十一年の引揚げまで。場所は南太平洋日本海軍の要衝トラック島である。着任当時、此にトラック鳥の基地機能は壊滅的打撃を受目りており、やがて内地からの補給が途絶えると、全鳥飢餓状態に陥る。その中で出会ったさまざまな人間像と俳句との関わりを、兜太は語っている。

 この極限状況の中で、当初は俳句を作るまいと考えていた。上官からの、自活と士気高揚のために句会をやってほしいという要請にも応じなかった。ところがほどなく、俳句復活の機会がやって来る。死者に報いるために俳句は作らないと決めていたのに、歩いているうちに自然に出来てしまう。これはもう身体現象だった。さらに、文学青年西沢陸軍少尉と親しくなったことから、陸海軍合同の句会を提案され、自らの俳句魂に気づくとともに、上官の志にも応えようと決意するにいたる。この句会は、陸海軍の枠を越え、階級絶対主義の軍隊で士官と軍属工員の差別もない、奇跡のような風景をもたらした。戦場下でのさまざまな事情で、兜太自身長く携わることが出来なかったにも関わらず、句会活動は拡がりを見せ、終戦時まで続いたという。

 この理由を西沢少尉は、兜太の人徳・指導力と俳句という詩型のもつ汎人間的魅力によるという。おそらく、極限状況の下での人間の生への執念は、最終的には感性の力に負うところが大きいのではないか。これには兜太の「生きもの感覚」が拠り所になったに違いない。俳句の場を通じて、それを引き出すガイドの役割を演じた。しかも俳句型式が、誰にも開かれているものであった。戦争という極限状況をも乗り越える詩型の力を、あらためて教えられた。


金子兜太句集『東国抄』

第13句集『東国抄』花神社 
2800円+税 2001年刊


『東国抄』後記より   金子兜太

平成7年(1995)の秋から、同12年(2000)

初夏まで、ほぼ四年半のあいだにできた俳句をまとめた。『両神』につづく第十三句集である。題の『東国抄』は、主宰俳誌「海程」に俳句を掲載するときの表題として、十年
以上も書きとめてきたもので、初めは都ぶりに対する鄙ぶり、雅(が)の世界でなく野(や)の世 界に自分の俳句をおきたい、といったていどの考えだった。
しかし、「土」をすべての生きものの存在基底と思い定めて、自分のいのちの原点である秩父の山河、その「産土(うぶすな)」の時空を、身心を込めて受けとめようと努めるようになり、この題は、産土の自覚を包むようになったのである。

金子兜太句集『皆之』

第11句集 『皆之』 2600円 1989年刊 

立風書房

僧になる青年若葉の握り飯
疲れ眼に蜂の呟き一瞬あり
義兄落合文平死去     
流るるはすべて華(はな)なりただ眠れ
とどまるは漂うごとし木苺の径(みち)
朝の馬ついに影絵となる旅立ち
     沖縄那覇      
起伏ひたに白し熱い若夏(うりずん)
      宮崎えびの高原
雲と吾(あ)と韓国岳(からくに)越える夏逝くぞ
蓼科紅葉人間孤となり奇となり

   奥信濃柏原・二句
雪の家房事一茶の大揺(おおゆ)すり
雪の中で鯉があばれる寒そうだ
乳房四房がいかにも不思議乳牛諸姉(しょし)
桐の花遺偈に粥の染みすこし
牛蛙ぐわぐわ鳴くよぐわぐわ
濃霧だから額(ぬか)に光輝を覚えるのだ
抱かれし野鯉あかあか鉄砲水
家にいる外(そと)は晴蜻蛉(とんぼ)眩しいので
頭痛の心痛の腰痛のコスモス 
秋谷(あきだに)の戸ごとに怒鳴り酔つぱらい
座礁船ことに遺児たちが見ている
家の真中(まなか)に犬伏していて五月来る
芝桜若きカメラマン沈思
霧の家青大将が婆(ばば)の床(とこ)に
肉体萎(な)えるや窓に鴎の背中見えて
犬の睾丸ぶらぶらつやつやと金木犀
陽がさせば木の実美(は)し村人よ村よ
返り花頬いつまでも赤しや人(ひと)
痛てて痛ててと玄冬平野に腰を病む
     瓢湖
唯今二一五〇羽の白鳥と妻居り
人伝てにかさこそかさこそと金縷梅(まんさく)
北風(きた)をゆけばなけなしの髪ぼうぼうす
肉病むとも気は病むまじと梛(なぎ)の茂り
砂漠かなコンサートホールにかなかな
みちのく初冬川の蒼額(あおぬか)人の無言(しじま)
遊びごころに林檎畑に白い雲
大花白豚歩いてゆくぜ白鳥だぜ
マスクは鼻に蜜柑は指に人の前
夜となり吉夢(きちむ)むさぼる寝正月
世を旅して寒紅梅一塵(いちじん)
寒椿おまんまおしんこおまんじゅう
中国放吟(桂林、りょう江)・五句
  
りょう江どこまでも春の細路を連れて 
 (りょう江は漢字)

真白(しんぱく)の瀧を遠目に旅ゆくも
大根の花に水牛の往き来
二江の間(あい)に春寒きかな桂林
蒼暗の桂林迎春花に魚影
れんぎように巨鯨の影の月日かな
谷川岳(たらがわ)南面われとの間に風音(かざおと)一度
  出沢柵太郎死去・二句
夏燕波爛の生というべき死
夏燕谷ゆけり記憶散りゆけり
青葦原汗だくだくの鼠と会う
  秩父山中盛夏・六句
伯母老いたり夏山越えれば母老いいし
夏の山国母いてわれを与太(よた)と言う
老い母の愚痴壮健に夕ひぐらし
たつぷりと鳴くやつもいる夕ひぐらし
カリン老樹に赤児抱きつく家郷かな
朝日に人山蛾いちめん流れゆく
代満(しろみて)と言い交わしつ中国山脈越ゆ
蜂に追われて眼鏡失くして夏終る
冬眠の蝮のほかは寝息なし

金子兜太句集『詩経国風』 

第10句集『詩経国風』 
角川書店  昭和60年6月刊  
2,500円 
句は花神社コレクション「金子兜太」より






麒麟の脚(あし)のごとき恵みよ夏の人
抱けば熟れいて夭夭(ようよう)の桃肩に昂(すばる)
良き土に淑(よ)き女(ひと)寝かす真昼かな
流るるは求むるなりと悠(おも)う悠(おも)う
南谷(なんこく)にわが馬鈍し木木ぞ喬(たか)し
葛を煮て衣となす女(ひと)を恋いけらし
おびただしい蝗の羽だ寿(ことほ)ぐよ
人さすらい鵲(かささぎ)の巣に鳩ら眠る
そして日本列島の東国
人間に狐ぶつかる春の谷 
   同邶風(はいふう)1 
日と月と憂心照臨葛の丘
弑逆(しいぎゃく)あり流れゆく黄裳(しょう)緑衣
そして日本列島の東国・三句
利根流域美女群浴に出会う
春憂う美女群浴の交交(こもごも)
月が出て美女群浴の白照す
     同邶風 2
つばな抱く娘に朗朗と馬がくる
流離(さすろ)うや太行山脈の嶺嶺(ねね)に糞(まり)し
草笛のげに明(あか)し王ら乱れたり
まつりごとみだれて夏の石女(うのずめ)たち
そして日本列島越前三国・三句
越前三国葭切に僧の妻くれない
鉄線花と鵜とぐんぐんと近づきたる
桐の花河口に眠りまた目覚めて
同ようふう(漢字が無いので書き換えています)
ペガサスは南に美しきは少女
夏の王駿馬三千頭と牝馬
鼠を視(み)るに歯があり毛がある山家かな
   衛風(えいふう) 
黄河の夏洋洋と活活(かつかつ)と北へ
一葦もて黄河渡らん子に会わなん
そして日本列島東国房総・二句
朝の馬笑いころげる青坊主
芙蓉咲く風音は人々が聴いて

金子兜太句集『猪羊集』

第9句集『猪羊集』 1982年刊 「昭和57 昭和57 1,300円 


昭和五十七年 現代俳句協会・現代俳句の100冊[10]
現代俳句協会にあります。
現代俳句協会メール  info@gendaihaiku.gr.jp
現代俳句協会TEL  03-3839-8190 

山国の橡の大木なり人影だよ 
日本海に真冬日あらん山越えれば
さすらえば冬の城透明になりゆくも
春の航夢にがぶりて鱶の腹
荒天の高知菜の花粉微塵(こなみじん)
鮎食うて旅の終りの日向ある
一舟そこにさすらうごとしこおなご漁
夏は白花(しろはな)抱き合うときは尻叩け
朝の星黄金虫標本室は彼方に
食べ残された西瓜の赤さ蜻蛉の谷
道志村(どうし)に童児山のうれしさ水のたのしさ
死火山屋島菜の花どきはかもめかもめ
空海幼名は真魚(まな)春鴎くる内海
えんぶり衆白き夜雲の田へ帰る
桃の里眼鏡をかけて人間さま
桃の村からトンネルに突込む塩気
新墾(にいはり)筑波胡瓜はりはり噛めば別れ
立山や便器に坐禅のような俺が
黒部の沢真つ直ぐに墜ちてゆくこおろぎ
 



金子兜太句集『遊牧集』

第 8 句 集 『遊牧集』  金子兜太


僻(うつ)ぶせの霧夜(きりよ)の遊行青ざめて
梅咲いて庭中に青鮫が来ている
朝戸出て直ぐあり沢蟹の猛き匂い
山国の橡(とち)の木大なり人影だよ

















山国や空にただよう花火殻
ヘツドライトは赤眼の獣か山籠り
沸きたつように弔うように熊蜂晩夏
山国や晩夏の岩に少女坐る
父亡くて一茶百五十一回忌の蕎麦食う
肛門の毛まで描く老ピカソ東に月
水が照るこんなに照るよ冬なれや
石屋の親爺怒鳴り散らすよ関八州
妻に鷄卵われに秋富士の一と盛(も)り
富士二日見えず還流の富士おもう
雪の山畑白真ッ平らしかし斜め
霧の山紅い枯葉が顔ふたぎ
谷間谷間に満作が咲く荒凡夫
昼月は静かすぎるぞ娑婆遊び
霧籠り酒も木の実も明きかな
 中国旅吟(第一回)・九句
先ず会う満月広茫の北京へ
長城足下養蜂家族がいるわいるわ
夏の訪れ蘇州ぞうぞうと風騒 (かぜざい)
花石榴の花の点鐘恵山寺
旅を来て魯迅墓に泰山木数華
万里をゆく夏の白花手に挿頭(かざ)し
民こそ富赤煉瓦積む向日葵咲く
けもののごとき温さ黄濁の初夏長江
初夏長江鯖などはぼうふらより小さい
関八州冬の日照れば真ッ白け
   大和・三句
室生細みち愕然と山茶花発華
飛鳥仏の鼻梁も青し青し蓬
早春の飛鳥陽石蒼古たり
水の野を朝の雲過ぐああ開花
遊牧のごとし十二輌編成列車
土間に一人子近き山畑荒鋤かれ
白髪太郎がきて引きかえす妻は元気
旅なるを山梨の木に蛇眠らせ
家に坐れば文債積る柿盗り見えて
山霧来て限鼻張りつけわが家覗く
猪(しし)が来て空気を食べる春の峠
地蔵のような青年といる春の霧
非常に利己的な善人雪の木を伐りおる
梨花咲きたりわが赤らみし肝膾(きもなます)

金子兜太句集『旅次抄録』


第7句集『旅次抄録』構造社 昭和52年6月  1,000円

句は花神社コレクション「金子兜太」から
霧に白鳥白鳥に霧というべきか
僧といて柿の実と白鳥の話
山みみずばたばたはねる縁ありて
      潮来・二句
夜明けの鴎残夢残夢と野をゆけば
灯がかたまり水が重なる野が終れば
病む妻に添い寝の猫の真つ黒け
    土佐・三句
海に会えばたちちまち青き梨剥きたり
水族館に鈍きは海蛇傷つくとも
太平洋抱卵のごとし渚の少女らは
     伊豆・三句
伊豆の夜を遠わたる雷妻癒えよ
海鳥あまた渚の骸(むくろ)病む妻へ
緑褥というか海辺の草に妻
   越前三国・四句
昼は渚をひたすら歩み鵜と会いぬ
九頭竜河口に羽毛降りきて夏病む妻
廃墟という空き地に出ればみな和らぐ
眼前に暗き硝子戸越前泊り
    河内弘川寺・二句
大頭の黒蟻西行の野糞
出会いし人ら頭咲かせて水田べり
    金子光晴死去
   緑鋭の虚無老い声の疳高に
霧に花首標高一九〇〇メートルの人肌
照り返えす過去黍畑に雄の馬
     十里木・七句
富士たらたら流れるよ月日にめりこむよ
「すべて腐爛(くさ)らないものはない」朝涼の富士よ
高原晩夏肉体はこぶ蝮とおれ
高原に落鮎食らい時流す
霧中に富士酒ほしげなり破戒僧
濁酒あり星と野犬の骸骨(されこうべ)
星がおちないおちないと思う秋の宿
     木曾・三句
のつぽと短躯秋の木曽路の縦横(たてよこ)
夜の向こうにアルプス牙木曽酔人(よいびと)
木曾の夜ぞ秋の陽痛き夢の人
黒姫山に花鷄(あどり)溢れる味噌焚けば
鷺が通れば春の豚小屋豚総立ち
木のなかへ木がとけてゆく夕惑い
喪の日とや夏風荒れて頭禿げて
霧に美食捕鯨船長長並み
     因幡・二句
幼な子の尿(しと)ほどの雨鳥取泊り
海くる祖の風砂山を生み金雀枝を打つぞ
     伯耆・三句
藤房の夜見の国あり陽の山あり
緑歯噛んで酒すするなり山の人
大山山中祭のながれゆるしゆるし
人刺して足長蜂(あしなが)帰る荒涼へ
あきらか鴨の群れあり山峡漂泊 


後記 『旅次抄録』      金子兜太
  
 三十年ちかく勤めていたところを退職して、すでに二年半たった。そのあいたにできたものをまとめたのだが、旅の句が多い。やはり、外に出ると、人や天然との新しい出会いがある。それも、一期一会ともいえるほどの新しい、しかしそれきりの出会いもあれば、
二度三度と会っているにもかかわらず、まったく新しい気分で会える人がいたり、天然があったりする。それにひかれて。出かけることが多かったのだ。

 しかし、〈定住漂泊〉者の私には、息子夫婦とその赤ん坊と同居し、細君とおおいに喋り、来訪者や会合の人たちと酒を飲み、鳥や木や花を眺め、犬や猫のあくびのお付合いをするIその日常もまた旅次だから、外に出る旅だけにこだわる必要もない。すべてをひっ
くるめて、旅次抄録と名付けたゆえんである。
    ★
 私は、〈艶めく〉とかくなまなましい〉ということばが好きだ。細君にいわせると、私の感性は、いつまでも〈少年的〉なのだそうである。偉そうなことをいうわりには、根は幼稚だ、ということにもなるらしい。

 細君の批評はともかく、私がこういうことばを愛好し多用するのは、そう感じられるときの人間や天然を、いちばん美しいとおもうからである。そのときには、人間も天然も、なまぐさいほどに〈現実〉であり、同時に〈自然〉なのだ。荒々しくそのままであり、人間でいえば、本能の純粋状態(私は〈純動物〉の状態という)といいたいものを、そこに感じる。

 いまの現実は、その状態をさまたげている場面が多すぎる。それだけに、人間や天然との艶っぽい、なまましい出会いを私は求めるのだが、求める、という安勢は消極的なのかもしれない。しかし、いまの私にとっては、これが精一杯の積極性なのである。

 こうした、〈現実〉と〈自然〉の同時性への求めは、句にする段階では(おおげさにいえば言語表現の段附では)、〈現実〉と〈伝統〉の同時性への求めに繋がる。
なによりも現在只今の自分と人々と天然に直接的であろうとしつつ、同時に、〈伝統体感〉への身ぐるみの探りいれを欠かすまいとするのは、そのためであって、これがないと、ことばにのせたとき、どんなになまなましい現実でも、軽くなり流れてしまう懸念がある。


俳句のような短詩形だから、よけいにそのことをきっく体験するのかもしれないのだが。
 〈現実〉と〈自然〉、〈現実の表現〉と〈伝統体感〉にの重ねかたが、いま私が手探りしている「不易流行」の入口でもある。しかし、そのためには、私自身がもっと自在に(それこそ自然に)ならなければいけないとおもうのだが、執着だらけでうまくはゆかな
い。自在になろうとして、すでにそうおもうことで自分を縛っているのだから、話にならない。いつの‐か、自信をこめて、〈自由人宣言〉をやってやろうとおも
っているのだが。
    ★
 この句集をまとめる直前、土佐の国は南国市に、杉本恒星を訪ね、高知市や土佐市に幡鋸する俳句仲間と会い、杉本に誘われるままに、土佐文雄、片岡文雄の両文雄との新しい出会いも得た。途上、岡本弥太の詩「白牡丹図」とも、ふたたび出会った。その詩。
 白い牡丹の花を
 捧げるもの
 剣を差して急ぐもの

 日の光青くはてなく
 このみちを
 たれもかへらぬ

 土佐の初夏のひかりは、この詩の叙情を、よりいっそう感動的なものにするだろう。私は、この詩が書かれた昭和初期、かの十五年戦争突入の時期をおもい、「剣を差して急ぐもの」に詩人のむなしげな心意を感じもするのだが、しかし、いまの現実におきなおして
も十分に現実感がある。

ある、とおもいつつ、私は、おそらく岡本弥太もまた、「白い牡丹の花を捧げるもの」であることを、いさぎよしとせず、さりとて、「剣を差して急ぐもの」にもなろうとはしない、いわば、どっちつかずの〈手ぶらで歩くもの〉ぐらいだろうとおもった。

この「図」からにおってくる二つの対照、たとえば、文と武、詩と剣―そのどちらにも自分を決めることをためらいながら、双方を共に、と願う生きざま。生ぐさい、しかし、どこかお高くとまった、人間としての有り様。着ながし、開襟シャツで、「たれもかへらぬ」「このみちを」ぶらりぶらりと歩きながら、妙に眼だけがしっかりしている有り様。
    ★
 この句集をまとめることができたのは、構造社社主横山乾治と奇友青砥コー郎両氏の奨めによる。感謝したい。
    昭和五十二年(一九七七年)春
                 金子兜太


解説 海程同人  安西 篤(金子兜太集より転載)

付・「あとがき」、総頁256頁、装画/装幀・建石修志、判型・B6判、 造本・並製カバー装、発行1974年6月
16日初版、発行所・構造社出版

『旅次抄録』は、昭和49年(1974)9月に日本銀行を定年退職して以 降約二年半の作品から226句をまとめたもの。
旅の句が多いが、必ずしも旅ばかりではなく、人や天然との新しい出会いを連作のように二十章 に細分化して章立てしている。題名について「あとがき」でこう書いてい る。
「(定住漂泊)者の私には、息子夫婦とその赤ん坊と同居し、細君と おおいに喋り、来訪者や会合の人たちと酒を飲み、鳥や木や花を眺め、犬や猫のあくびのお付合いをする
ーその日常もまた旅次だから、外に出る旅だけにこだわる必要もない。すべてをひっくるめて、旅次抄録と名付けたゆえんである」と。

 そしてこの時期の所感として「(現実)と(自然)
(現実の表現〉と(伝統 体感)―この重ねかたが、いま私が手探りしている『不易流行』の入口で もある」といい、新しい伝統を築くための自在なる体感への求めを強調している。   

金子兜太句集『早春展墓』


 第5句集 『早春展墓』  金子兜太
早春展墓』発行1974年7月25日初版 
句は花神社コレクション「金子兜太」から


   旅!北海道・九句
あおい熊釧路裏街立ちん坊
あおい熊チャペルの朝は乱打乱打
あおい熊冷えた海には人の唄
骨の鮭アイヌ三人水わたる
骨の鮭湖(うみ)の真乙女膝抱いて
骨の鮭鴉もダケカンパも骨だ
馬遠し藻で陰(ほと)洗う幼な妻
アイヌ悲話花野湖水の藻となるや
海とどまりわれら流れてゆきしかな
    旅ー北陸・五句
冬の旅立ち醜男(しこ)醜女(しこめ)の窓越えて
海へ落石鵜が見るときは音もなく
姉いつか鵜の鳥孕む海辺の家
雪の海底紅花積り蟹となるや
夜の蟹船男ら酔いて放浪す
光のなかに腕組むは美童くる予感
蝉の山やがて透明な穢(え)のはじまり
白い便器に眼を剝き笑う谷間かな
    山峡賦・八句
山峡に沢蟹の華(はな)微かなり
旅の女の戯(ざ)れ唄しばし夏の後(あと)
影ばかり脊梁山脈の獅子舞
暗い電車にいくたびか会う酔後
暗窓に白さるすべり隂(ほと)みせて

南窓く雉も少女もいつか玉(いし)
魚のまぶたの山ひだに浮く冬の花火
鳥に食われぬ先に無花果喰う暁闇


2015年7月30日

金子兜太句集『暗線地誌』

第4句集 『暗線地誌』

昭和47年 牧羊社(句集は321句) (句は花神社コレクション 「金子兜太」から)

林間を人ごうごうと過ぎゆけり
涙なし蝶かんかんと触れ合いて
米は土に雀は泥に埋まる地誌
一飛鳥蒼天に入り壊(こわ)れたり
犬一猫二われら三人被爆せず
夕狩(ゆうがり)の野の水たまりこそ黒瞳(くろめ)
山の向こうは青葡萄園その拡がり
谷に鯉もみ合う夜の歓喜かな
灯が斜めの非常階段をおちる豆
  北海道十勝
しみこむ影は唐黍の精十勝の家
二十のテレビにスタートダツシユの黒人ばかり
  赤い犀 二句
赤い犀顔みてゆけば眼が二つ
赤い犀車に乗ればはみだす角
  松島
靄から夜へ島も燈下のわれも美貌
暗黒や関東平野に火事一つ
雑木林に雪積む二人の棺のように
馬酔木咲き黒人Kのさらなる嘆き
汚れて小柄な円空仏に風の衆
列島史線路を低く四、五人ゆく
月あれば谷底ひろし青(あお)僧侶
朝顔が降る遠国の無人の宿
風におちた青葉青枝眠りの場
みな多弁に棗かじる暗い山
篠枯れて狼毛の山河となれり晩夏
樹といれば少女ざわざわと繁茂せり
紫雲英田に俠客ひとり裏返し
伊豆の山山雁より黒くわれらわれら
死火山に煙なく不思議なき入浴

金子兜太

2015年7月26日

「海程」創刊のことば


海程創刊の言葉   金子兜太

われわれは俳句という名の日本語の最短定型詩形を愛している。何故愛しているのか、と訊ねられれば、それは好きだからだ、と答えるしかない。日本語について、あるいは最短定型詩の特性についての論理的な究明のあと、この詩形を愛するにいたった―といった廻りくどい道行きもさりながら、 ともかく肌身に合い、血を湧かせるからだ、といいたい。まず愛することを率直に肯定したい。


ともかく、愛することから出発し、愛する証しとしても、現在ただいまのわれわれの感情や思想を自由に、しかも一人一人の個性を百パーセント発揮するかたちで、この愛人に投入してみたい。愛人の過去に拘泥するよりも、現在のわれわれの詩藻の鮮度によって、この愛人を充たしてやりたい。これが、本当の愛というものではないか。

だから、くどいようだが、何よりも自由に、個性的に、この愛人をわれわれの一人一人が抱擁することだ。愛人はそのうちの誰れに本当のほほえみを送るか、それは各人の自由さ、個性度、そして情熱の深さによることだと思う。

このため、われわれは、この愛人にかぶせられている約束というものに拘泥したくない。ここに季語・季題という約束がある。この約束が長い年月形成してきた自然についての美しく、含蓄に富んだ言葉の数々は、立派な文化遺産であって、確かに俳句の誇りである。愛人は美しい自然の言葉によって装おわれ、また自ら美しい言葉を産みつづけた。しかし、現在ただいま、愛人を依然として自然の言葉だけによって装うことは、かえってこの人をみすぼらしくすることではなかろうか。自然とともに、社会の言葉でも装ってやりたい。自然と社会の言葉によって、絢爛と装い、育ぐくんでやりたい、とわれわれは願う。

最後にいいたい。最高の愛し方は、純粋に愛するということだ。愛人を取り巻く、いわゆる俳壇政治なるものは、いつの世にも愚劣であるが、いつまでも絶えることがない。われわれは、この政治や政略の外に愛人を置いてやりたい。俳壇政治を無視して、純粋に愛してゆきたい、と願う。

愛人に向って、われわれは、現在ただいまの自由かつ個性的な表現を繰返し、これによってこの美しい魔性を新鮮に獲得しようというわけなのだ。

火山の噴くやうに

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