2015年6月8日

兜太の語る俳人たち 『高柳重信』


金子先生が今月の「俳句」に高柳重信のことを書いていました。

語る兜太」によると、60年安保の年、高柳重心宅に訪れ、
まなこ荒れ/たちまち/朝の/終りかな
が多行書きの高柳。小生は「朝はじまる海へ突込む鴎の死」。
ともに相手の所望による。


 高柳は詩人、歌人からも人気があって、初期の佐佐木幸綱、大岡信、岡井隆などは、高柳・中村の家にしばしば遊びにいっていた。俳人では加藤郁乎がいたし、いまでもけっこう面白い連中がいて、「戦後俳句」の温床と言ってもよかろう。

しかも高柳は戦略家でもあって、いわゆる俳壇政治にも長けていたから、新勢力つまり「戦後俳句」を俳壇における確かなものにしていったのである。この男が小生を多として
くれたことも有難った。

 その高柳を、私は講演での失言で怒らせてしまったのである。以後、彼の、とくに「ことば」の面からの攻撃を受けることになる。彼が多行形式ばかりでなく、一行書きの句も別に書くようになったのも、その頃だったろう。

 六十歳で他界。夭折と言いたい。不摂生のためか。贅肉が目立っていた由。あと二十年生きていて貰いたかった。

高柳重信関連サイト
http://leonocusto.blog66.fc2.com/blog-entry-520.html





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