2015年5月14日

兜太句を味わう「涙なし蝶かんかんと触れ合いて」金子兜太    


涙なし蝶かんかんと触れ合いて       金子兜太 
 
                                     「兜太百句を読む」池田澄子

金子 これはねえ、この庭です、ええ、この庭。これは入れて

もらいたい    句、自分では好きな句なんです。

池田 「蝶かんかん」は空気が乾燥しているということでしょうか。

春の野のひらひらした蝶ではなくて、暑い日の、中空と言う
のでしょうか、そんな景が思われます。抒情を振り切ろうとして
いる気迫が感じられますね。「涙なし」をどう読んだらいいのか、
そこが難しいですが、どう読んでもよさそうで、そこが読者の
判断が分かれるところかと思います。

人・作者の「涙なし」とも読めますし、蝶に涙なし、とも読めます。
「世」に「涙なし」とも読めます。先生の俳句の中では、ストレー
トには通じにくいタイプに入る俳句で、私には読みに自信が持てな
いタイプではあります。ですが、若すぎない青春性が気持ちよくて
魅力があります。渇きに清潔感があるんです。「かんかん」の音の
響きと「蝶」との意外性、それが快晴の渇きを感じることで清潔感
を感じさせるのだと思います。

2015年5月13日

兜太句を語る「飯食えば蛇来て穴に入りにけり」


飯食えば蛇来て穴に入りにけり           兜太

 飯を食べていたら、まるでそれが合図のように蛇がするするとやってきて、穴に入った、ということだが、じっさいは、食事中に偶然、秋の蛇を見ただけのことで、誇張である。

 しかし、このとき、自分という人間も蛇も同じ自然界の生きもの、飯を食うことも穴に入ることも同じ生のいとなみ、というおもいにとらわれて、生きものどうしのえもいわれぬ親密感のなかにいたことは事実だった。そのための誇張である。

 蛇は秋もふかまると穴に入って冬眠する。数匹から数十匹が寄りあつまり、からみっているという。穴に入らないのもいて、穴惑いという季語もあるが、わたしの見 たのは
それだったのかもしれない。

 とにかく、蛇は不気味かつ不思議な生きもので、嫌う人が多い。ことに女性の俳句で蛇が好きだとかいたものに出会った記憶がない。
 しかしわたしは蛇が嫌いではない。とくに机の引き出しなどで飼う気はないが、石をぶつけて追いはらう気持など毛頭ない。

 小学低学年のころ、ヤマカガシだったか手に巻きつけて、担任の女性の先生の前にぬっと差し出して、親しみを示したことがあった。先生はぎよっとして身を引いたあと、あらかわいいわね、といったのだから、あんがい蛇好きだったのかもしれない。いや、教育のためのご配慮だったのかももしれぬ                     

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金子兜太と「海程」50年




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【夢彩る】俳人・金子兜太さん(秩父市出身)


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日本記者クラブ総会記念講演 金子兜太さん(俳人) 2010.5.28

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俳人 金子兜太の気骨  荒凡夫(あらぼんぷ)


2015年5月12日

金子兜太句碑 九州 四国


湾曲し火傷し爆心地のマラソン    兜太

九州長崎市

Twisted and seared
the marathon at the center
of the atomic explosion  (英訳・海程同人 小長井和子)



 黒い桜島折れた銃床海を走り   金子兜太

九州桜島

昭和35年5月、はじめて桜島を訪れた金子兜太は、「逆光の桜島に対峙したとき、自らの戦争体験が重なって、錦江湾に折れた銃床が走るように見えた」という。

昭和36年「金子兜太句集」に収められている句です。昭和36年は「造形俳句六章」を俳句に連載、7現代俳句協会が分裂し俳人協会が発足草田男と論争と略歴に書かれています。翌年37年「海程」が創刊。

金子兜太句碑 飛騨の古川町・可児市・永平町


斑雪嶺の紅顔とあり飛騨の国   金子兜太  句集「両神)

昭和61年(1986)1月、飛騨古川町に句碑建立
金子先生も皆子さんもお元気で、海程仲間も句碑の除幕式に参加した。飛騨の山を背景にして立派な句碑でした。昭和61年、金子先生はNHK市民入学の「一茶」開始、6月には、カナダのブリティッシュ・コロンビア大学で講演12月朝日俳壇選者に決まったり多忙な始まりでした。


町川泳ぐ鯉に藤咲く飛騨古川   金子兜太

 瀬戸川筋には古い白壁の土蔵が残り、堀には1000匹余りの鯉が放流されています。水音が涼しげな飛騨古川です。 



よく眠る夢の枯野が青むまで   金子兜太

永平町・四季の森文化館前に建立された句碑。

金子先生
「『よく眠る』の句は、つくった後で、芭蕉の向こうを張ったねといわれて気がついたんだけれども、臨終に近い芭蕉の『枯野』は、ついに青むことがなかったが、こちらは、春だぞ、草萌えだぞ、青みを帯びてきたぞと、いのちのよみがえりを感じてるんだね」


城山に人の暮しに青あらし     金子兜太

岐阜県兼山町(現在可児市)「蘭丸ふる里の森」に句碑はあります

東国抄 2005/8・9 岐阜県兼山町に句碑とありますのでこれより少し前に建立されたのではないでしょうか。

ネットで探したら檀家(だんか)らが集まった除幕式で、金子さんは「私の句碑はたくさんあるが、ばかでかいのは食傷気味です。この句碑に満足しています」と話し、高さ40センチほどの石造りの碑に優しく手を置いた。
刻まれた句は、金子さんの「生き物感覚」を代表する作品とされている。

金子兜太句碑 石川県


小鳥来て巨岩に一粒のことば   兜太

石川県輪島市門前町走出6-66-1 
    
興禅寺住職  市 堀 玉 宗  
能登半島地震被災復興の記念に句碑を建立したいので一句色紙に揮毫してくださいと金子先生にお願いしたところ、間もなく送られてきたのが掲句であった。金子兜太句集『東国抄』の中に収められている一句だそうである。

現代俳句の巨匠でもある兜太俳句は必ず一句の中に作者の思想と現実社会が繋がるキーワードがある。スリットがある。断絶がある。飛躍がある。詩がある。情がある。俳句的に言えば「小鳥」は言うまでもなく、作者。神でも仏でもない「小さきもの」としての取るに足りない様な存在である、という自己認識、哲学がそこにある。譲れない「個」という可能性への、眼差しがある。

句碑 「小鳥来て巨岩に一粒のことば」  金子兜太

 2009年19日午前11時、俳句大会を終えられた金子先生と黒田先生が興禅寺に立ち寄って下さった。実は今回初めて知ったのだが、金子先生は能登半島地震の起こる前の年に、富山県の結社の皆さんと能登門前を訪れていたのだった。
本寺である總持寺祖院で市堀玉宗のお寺はどこか、と尋ね、興禅寺に足を運んでいたというのである。生憎、妻も私も留守をしていたらしく、庭を睥睨して帰られたそうである。その時の印象。「狸が化けて出て来そうな、古めかしいお寺だなあ、、、」というものだったと言う。その後、震災にあって、今回再訪となったのである

お帰りにの時
汽車の中で召し上がって頂きたく、門前の田舎弁当を手土産に持って頂いた。今頃蓋を開けて、その量の多さに度肝を抜いておられるだろう。「たくさん食べて、ウンとうんこなさってください。お二人にはお似合いです。またお会いしましょう。御苦労様でした。

金子兜太句碑 愛知県伊良湖岬



差羽帰り来て伊良湖よ夏満ちたり    兜太

句碑の場所・知県田原市伊良湖岬

 2015/1   425号     「木」より

山田哲夫が句碑建立について書いて います。

「海程」全国大会イン伊良湖が、渥美半島の先端の伊良湖
ビューホテルで開催されたのは、平成15(2003)年の5月
24日(土)~26日(月)のことであった。この年も例年に倣い、
初日は午後総会のあと第一次俳句会、夜は懇親会が行われ、
二日目は午前に第二次俳句会、午後は渥美半島吟行、夜は
グループ交流句会、第三日目は午前に第三次俳句会が行
われた。


この年例年と違ったのは、大会の開催中に金子兜太先生の
芸術院賞御受賞が決まり、このビッグニュースが全国に
報道されたことと、この大会の中で、懇親会前に「伊良湖岬と
文学」という題で当時地元の県立福江高校教頭の葉山茂生氏の
講演を聞ぐ時間が入ったことであった。
金子兜太先生の伊良湖句碑の俳句

差羽帰り来て伊良湖よ夏満ちたり

が作成されたのは、この折のことであった。金子先生は、この句会の
二日目の夜の交流会前に、森下草城子氏に伊良湖で作句された
次の五句を示された。

 差羽帰り来て伊良湖よ夏満ちたり
 曇れば夏波更に白しよ伊良湖崎
 伊良湖晴れたり白芥子の杜国
 青葉潮若き杜国に芭蕉ありき
 岬に拾う芭蕉杜国の夏の影
 
そして、草城子氏はこの五句の内から句碑にする句を一句選びたいと
言うことで、部屋に持ってこられた。
部屋には、山口伸氏、故北川邦陽氏、私か川て、四人でどの句を
選べばよいかを話し合ったった。その時の様子では、どれも捨て
がたいが、中でもこの。「差羽帰り来て~」の句と「伊良湖晴れたり~」の
句が私たらの間で推す人が多かったように記憶している。

そして、更にこの句に的を紋りって検討する中で、前句は差羽が
南へ渡る句でなくて、逆に南方から帰って来る様子が書かれて
いるとして、果たしてそういう事実があるのか否かを確かめてみる
必要があると云うことになった。鷹の渡りの研究家でもある葉山氏に、
早速私の方から電話で確認してみた。

 葉山氏から、「差羽は十月初め頃一斉に南に渡るが、それが
再びこちらへ帰って来る時は、少しずつで帰る。三月中旬頃
から五月上旬頃までに帰って来て、日本の各地で卵を産
み、雛を孵して夏を過ごす。従って、金子先生の句に全く
矛盾はなく、丁度今の季節のこととマッチしていて、これを
句碑にしていただければ、地元としては大変ありかたい。」
とのことであった。早速これを三人に伝えたところ、即全員
一致でこの句を推奨させてもらうこととなった。
 
 この句は、翌日の第三次句会でも出され、高得点を得た。
そして、後日金子先生は句集「日常」の中にこの内の四句を
入集され、前掲中五句目の「岬に拾う芭蕉杜国の夏の影」
の句は、「一つ一つ青葉潮から来る白波」という句に変更
されて人集されている。
更に、平成19年名古屋で開催された第45回現代俳句全国
大会の際には、この伊良湖句碑の「麓羽爍リ来て伊良湖よ夏澗ちたり」
の句は、図書カードに印刷されて、人会参加者に配布されて、
全国的に知られることとなった。
 ところで、この句碑建立の経過については、まだ触れていなかったが
金子先生の芸術院賞を受賞されたことを記念し草城子を中心にして建立
されました。(抜粋です)

金子兜太句碑 新潟県・群馬県・茨城県・千葉県

霧に白鳥白鳥に霧というべきか
新潟県

霧に白鳥白鳥に霧というべきか  金子兜太

句碑の場所  新潟県水原町瓢湖の向かいの「水原八幡宮」

海竜社「俳句人生」にこの句の作った感想が掲載されています。

朝の目ざめぎわの夢に、白鳥と霧のとけ合った幻想風な美しい映像を見ていた。ずいぶん前にこの句ができて、その後もときどき夢に見るのだが、こんなときは体調がよいのである。(兜太)



小鳥来る全力疾走の小鳥も


小鳥来る全力疾走の小鳥も   金子兜太

群馬県伊香保温泉の石段階にあります

海程同人の篠田悦子さんが金子先生の庭の様子を語っています。
(金子兜太の亡き妻「皆子夫人」が植えた樹木です)

紅梅・白梅・金綾梅・楷・山茉英・棋櫨・木瓜・臓梅・三椏・あぶらちゃん・山吹・藪椿・山茶花・令法・山法師さくら・えごのき・針槐・鶯神楽・山つつじ・梅擬き・檀・
椎・水楢・ははか(上溝桜)等々のほか、私の知らない木もありまして、金子先生のお宅の庭は一日じゅう小鳥が飛び交うまさに町なかの雑木林といえましょう。
戸市松本「保和苑」に2010年に建立。



白梅や白梅や老子無心の旅に住む   金子兜太

水戸市本「保和苑」に2010年に建立

佐々木靖章氏の「金子兜太の出発」から一部転載させて頂きました。

 さて、俳人・金子兜太の誕生を告げる処女句は〈白梅や老子無心の旅に住む〉初出は、水戸高の「暁鐘寮報」(昭和13・3)の第十面・文芸欄の一角に掲げられた「水高俳句会第四回作品」の中に見える。同会は、昭和十二年十一月に英語担当の長谷川朝暮(四郎)と吉田両耳(良治)教授の指導下に始まった。実質的リーダーは兜太の一年上の出沢三太(暁水、珊太郎)。短歌・詩・散文でも水高時代文才を披露し、一目おかれていた。出沢は俳句王国―水高の立役者である。「白梅」は水戸ならではの発想に違いないが、「老子云々」には老成した、超越の時間が内在する。


梅咲いて庭中に青鮫が来ている
千葉県

梅咲いて庭中に青鮫が来ている    兜太

我孫子市の真栄寺にある金子兜太の句碑

初出は、「海程」昭和五十三年四月号。

第七冊目の句集『遊牧集』では、劈頭の「青鮫抄」に収録されているが、青鮫を素材にした作品は、他に二句ある。


 

金子兜太句碑 北海道・東北

初夏の月放ちてくちびる山幼し   金子兜太

北海道然別湖の湖畔にあります。

くちびる山が湖に映り込めば本当にくちびる。初夏の月ですから淡い光
と山幼しで少女のくちびるが連想されて清潔な句です。





日本中央とあり大手鞠小手毬        金子兜太

青森県東北町には不思議な石碑がある。「日本中央の碑」。
大きな石の中央に「日本中央」と刻まれている
日本中央の碑(つぼのいしぶみ)公園に句碑はあります


壺の碑



















新秋の陸奥一百社鳥集う  金子兜太

多賀城に金子兜太句碑建立  2013.5.27
場所:宮城県多賀城市市川字奏社1 陸奥総社宮境内



郭公の声降りやまぬ地蔵鍋      兜太

ひぐらしの網かぶりたる矢向楯    皆子

最上川本合海の河原に建っています。
ここから芭蕉が乗船したと言われています。
川の流れが強く渦を巻いています。



花の牧赤松林の月の出に   金子兜太

花巻温泉に有ります。(赤松はこの周辺の山々に生える南部赤松)平成五年、当温泉で開催せれた「国民文化祭いわて’93」に選者として招かれた折の記念句。

花巻温泉歌碑巡り




火の柱の火の壁の松明あかし            兜太

「夢寐(むび)照らす巨大劫火(ごうか)の祭りかな  兜太

金子さんは6年前に須賀川市を訪れた際、日本三大火祭りの一つ「松明あかし」を観覧し、感銘を受けて俳句を5句詠んだ。

須賀川松明あかしは、須賀川市中心部から、長さ10m重さ3トンの大松明を男性約150名が担ぎ、1キロ先の五老山へと向かいます。到着後、1時間ほどかけて大松明を人力で垂直に立ち上げ、その後、大松明を皮切りに約30本の松明に次々と火がつけられ、須賀川の夜空を焦がします。












2015年5月11日

金子兜太句碑 埼玉県


たっぷりと鳴くやつもいる夕ひぐらし      兜太

熊谷市に在住する金子兜太の句碑がある寺、

天台宗別格本山常光院・・・ここは中条氏の館跡(県指定史跡)


猪が来て空気を食べる春の峠   金子兜太

句碑は長生館に有ります。埼玉県秩父郡長瀞町長瀞449

存在と魂  伊藤淳子(海程同人)
 師は「漂泊とは流愧の情念であって、必ずしも放浪を
要しない。定着を得ぬ魂の有り態である」と言われてい
る。霧の村である秩父の山影。その原郷は師の抒情の深
いところと繋かっていると思う。心を揺さぶって止まなない
  堵がきて空気を食べる春の峠

  長生きの朧のなかの眼玉かな

  春落日しかし日暮れを急がない




おおかみに蛍が一つついていた     金子兜太

埼玉県加須市「古佛眼山 龍蔵寺」
副住持の日記プログによると2010年8月に境内に建立




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