2015年12月3日

兜太のエッセー「ラグビー」


今年のスポーツの話題は何と言ってもラクビーの五郎丸選手です。  
3勝を挙げたワールドカップでの活躍で一躍「時の人」になりました。

『兜太のつれづれ歳時記に』 ラグビーの項があります
  
 ラガー等のそのかちうたのみじかけれ  横山白虹

 冬はラグビーの季節といいたいくらいに、ラグビーは私の大好きな球技の一つである。ラグビーの試合のない正月なんて正月ではないという気持ちで、テレビジョンに張りついている。

 この俳句は昭和前期の作で、白虹が九大医学部出身だから、九大ラグビ一部の試合後の情景を句にしたものと勘繰っている。しかし、そんな詮索は無用。ラグビーという激しい闘争技とすら感じさせるほどの、それこそ文字どおり男臭い、男らしい球技が見る者に与えてくれる清清しさに惚れ込んでの作なのである。

 その感動の盛り上がりは試合中も続くが、勝負が決まったあとの選手たちの姿からも受けとれる。勝った者たちの「かちうた(勝ち歌)」が長々しくなく、したがっていかにも誇らしげでなく、あっさりと短いところにもそれを感じると白虹は書くのだ。敗れた相手を労る心根もみえて、まことに男らしいとも。

 この俳句の宜しさの一つは、「かちうた」という言葉にあり、これがひびく。「みじかけれ」といいきるところに、作者と選手たちの心情のひびきもある。「格好の好い」句なのだ。しかし、少しもそれが気にならない。 私か冬、ことに正月ともなるとこの句を思い出す。そうしてラグビーの試合を堪能する。いや、いま一句、私の堪向を感動的にしてくれる句があった。

 惨敗のラガーシャワーに燃え移る  竹貫稔也


 こちらは大敗した選手たちの姿をとらえたもの。シャワーを浴びて身体 を洗うときも身体は燃え、悔しさも燃えている。競技場から誰も囗を利かないで走ってきて、シャワーの下に飛び込む。そして黙って、汗と泥と涙を洗い流す。しかし悔しさはさらに燃え、身体の熱気は冷えはしない。

 「熱く闘い、敗けた男たち」の清清しい情景を私はこの句に読むのだが、稔也は高校ラグビーの名門、秋田工高の教師だった。すでにこの句をつくって間もない時期に、若い命を病魔に奪われたのだが、いま存命なら六十代半ばぐらいだったか。好漢だった。

 この二つの俳句を愛誦するわけだが、スポーツに詳しいジャーナリストから、ラグビーの選手を「ラガー」というのは日本だけの慣用で、一般性に欠けるという意見をもらったことがある。正しくはラガー・マンでなければならないということで、そのとおりなのだ。しかし、ラガー・マンもラグビー・マンも少しまだるっこい。俳句は短い言葉を多とするから、ここはラガーでやれまいかと願っていたところ、その慣用が認められている
はずだ、確かラグビー協会でも、と聞いてはっとしたしだいである。

 真偽は確かめていないが、そう話してくれた人を信頼しているし、仮に日本的慣用語としても、俳句は日本のものなのだから遣って差し支えないとも思っている。日本の方言とみてもよかろう。方言、大いに活用すべし。
あまり好句とはいえないが、昭和前期の新興俳句運動で活躍した渡辺白泉に、こんな句もある。

 ラガー等の胴体重なり合へば冬

 はっきりラグビーの語でつくって上等の俳句もある。山口誓子初期のころのラグビー一連はよく知られていて、なかに
 ラグビーの憩ひ大方は立ち憩ふ

あり。中村草田男の

 書庫守に声なきラグビー玻璃戸(はりど)走す

 も忘れがたし。
 ところで私の応援するチームは明大ラグビー部。理由はまったく単純で、明大が息子の母校であること。そのせいか正月だけは、息子といいあいをしたことがない。


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