2015年11月20日

.岡崎万寿著「転換の時代の俳句力」



金子兜太の七十年目 筑紫磐井 (俳句四季11月号より転載)

 この八月、巷にはこんなビラがあふれていた、「アベ政治を許さない」。俳人金子兜太の字だ。奇異な感じを持たれたかもしれないが、兜太は、戦後復員して後、社会性俳句の
中心としてメッセージを発し続けていた作家だ。決して意外な人物のビラではない。た
だ、七十年後の今それを見ることが不思議なのだ。

 戦争の時代の20世紀に、我々は21世
紀とは平和と希望の世紀であると思っていた。いつの時代も世紀初はそうした希望にあふれている。しかし今となってみるとどうも目論見が違ったように思える。21世紀とは、やはり騒然の時代であった。思い返せば、21
世紀はテロで始まった(2001年9月ワールドトレードセンタービル崩壊)。

そして日本にあっては、地震、噴火と戦争の予感
の時代であった。これこそ金子兜太が再登場するにはピッタリの時代であったのである。




岡崎万寿の『転換の時代の俳句力――金子兜太の存在』

(平成27年8月15日/文學の森刊。(1600円十税)は、こうした時代にうってつけの本であった。兜太には、すでに、牧ひでを、安西篤など兜太と寄り添った人たちが書いた名評伝があり、我々は、事実も伝説もすべて知っているように思っている。しかし、上述のように進展し続ける兜太には、常に現在からフラッシュバックした評伝が必要なのだ。岡崎の本はまさに最新の事実から兜太を浮かび上がらせる。

 一言でいえば、この本は、①震災俳句、②
戦争俳句の両岸から橋をかけ、そこに③リア
リズムという虹を浮かび上がらせている本である、と言えようか。

 第1部の震災俳句にあっては、定点分析と
して、「その年」「1年目」「2年目」「3年目」と軌跡を追っている。
 第2部の戦争俳句にあっては、長谷川素逝・三橋敏雄・渡辺白泉、富澤赤黄男・鈴木
六林男、金子兜太の三つのパターンをあぶり出す。

 第3部の両者をつなぐリアリズムにあって
は、新興俳句、人間探究派、プロレタリア俳
句、戦争俳句、戦後俳句、根源俳句、社会性俳句、兜太の造型俳句という見事な系譜がた
どられるのである。


 俳句の社会性

 この文脈からいえば、社会性俳句が重要なキーワードをなすことは読者も納得されるこ
とと思う。花鳥諷詠や客観写生、抒情性などを肯定する立場に立っても、俳句がある時期、戦争や震災など社会的事象に関心を持たないではいられなかったことは事実である。
問題はそれが表現として俳句史にどう定着されたかと言うことである。

 社会性俳句の評価をめぐって岡崎は冒頭で
一つの批判を展開している(作者自身、古沢
太穂「道標」、金子兜太「海程」に属していた)。赤城さかえと川名大を批判しているの
だが、既に亡い赤城の批判は論争たり得ないが、川名は今もうて現役の評論家であるから
その批判は論争たり得ることになる。ここでは川名批判を取り上げてみよう。

 川名は、戦後の定評ある次の3句を「予定
調和の発想、予定作為(イデオロギー)を前
提とするまやかしが濳んでいる」「この句の読みと評価の書さかえを求める」の否定的な
評価を近年しばしば行っているという。

 戦後の空へ青蔦死木の丈に充つ    原子公平

 白蓮白シャツ彼我ひるがえり内灘へ 古沢太穂

 岡崎はこのような川名の説を「予定調和
説」と呼ぶ。作品評価に当たり、まず最初に左翼イデオロギー」「固定観念」の特定イデオロギー(理念)が、句作の「前提」「先入
主」として「存在」するところから始まる。

そして、そのイデオロギー的「前提」を柱に
して、フレーズを「なぞり」「当てはめ」「肉付けするコード」として、五七五の言葉が表現される。そこでは作者の胸を打つ感覚、感動も、新鮮な発見もモチーフも、単なるイデオロギーのための「符丁」となり「作為」や「仕掛けた表現意図」に「奉仕する」ものとなる。これが川名のいう「社会性俳句の最大の負性」である。こうした川名に対し、作品を「惨めに歪曲」し、「恣意とも言える」「疑問だらけの主張」と岡崎は厳しい「注」。

 確かに、このような頭のくらくらするよう
な古い批評用語に噴飯する岡崎の気持ちには
共感するものがある。昔ならともかく、イデオロギーから俳句が生まれると思っている作
家は殆どいないだろ三。また当時そうした動機をもって俳句を詠んだ作家がいたとして
も、現在の評価がそれで決定されるわけではないはずだ。イデオロギーに基づいた、しか
し立派な作品があってもおかしくはない。

 この一端から伺えるように、岡崎はかなり
柔軟な評価軸を持っている。特に、第1部の
震災俳句は、「定点分析」を掲げることにより東日本大震災の風化を防ごうとするユニー
クなものである。恐らく東日本大震災に完全復旧はない、永遠に日本人はそれを追跡する
義務がある、そういいたいのであろう。震災俳句を論じる人たちが余り試みなかった企画だが、岡崎は今後それを継続していくのだろう。

 その意味では私は多少の不満がある。客観
的な定点分析である以上、毀誉褒貶があって
も、長谷川櫂の『震災歌集』『震災句集』、角川春樹の『白い戦場』などは取り上げてほしかった。震災俳句にはあらゆる価値観が動員されていたと思えるからだ。

【注】川名の批評の致命的な問題を岡崎はあ
げている。平成9年の佐藤鬼房・原子公平・
阿部完市と行った座談会「戦後50年を振り返る」で、川名は、掲出の原子の「青蔦死
木」の句を優れた社会性俳句として激賞しているのだそうである。岡崎は、これは川名の
俳句評論家としてのありかたにかかわってくると、シニカルに批判している。
岡崎万寿(おかざき・まんじゅ)本名 万寿秀
1930年  佐賀県唐津市生まれ。
理論政治誌「前衛」編集長、衆議院議員を経て、
現在、非核の政府・東京を求める会常任世話人。
 [俳 歴〕
1987年頃から政治家の余技として俳句を嗜む。
1996年頃からまともに俳句と俳句評論に取り組み、古沢太穂に学ぶ。
1998年、「道標」同人。
2000年、道標賞、新俳句人連盟賞受賞。
1998頃から金子兜太に学び、2002年「海程」同人。
海程例会大賞(2004 ・ 2006 ・ 2011年)、
同特別賞(2012 ・ 2013年)。
現在、「海程」同人、現代俳句協会会員。
 〔著 書〕
『俳句の平明ということ』
『戦争と平和のマスコミ学』「現代マスコミ危機論」
『ジャーナリストの原点』(共編著)
『統一戦線運動』『三宅島』
『沖縄県祖国復帰闘争史』(編纂委員会諞・本土側より執筆)
『戦後秘密警察の実態』(共編著)『謀略』(共著)

『マルクス経済学辞典』(共同執筆)


リアリズムがもたらすもの   柳生正名(海程同人・現代俳句協会評論賞受賞)

 「転換の時代の俳句は、そのほとんどがリアリズムの俳句であることに感動した」―あとがきにはこう記されている。
本書が射程に置く「転換の時代」とは、①1931年に始まる15年戦争と45年の敗戦、その戦後。②2011年の東日本大震災以降―このほぼ半世紀を隔てた二つの時代を貫く形で、志向性(ゾルレン)/存在性(ザイン)という対概念を組み込んだ独自のリアリズム論により、著者は時々の俳句に縦串を通して行く。

 全体は3部構成だが、第1部では3・11後の俳句、第2部では戦時俳句、第3部では戦前の新興俳句から戦後の社会性・前衛俳句までが主に論じられる。
  陽炎より手が出て握り飯膕む   ムツオ
  戦争が廊下の奥に立つてゐた   白泉
  華朧な墓原女陰あらわに村眠り  兜太

 これら、各部で取り上げられる多彩多様な句の数々を、リアリズム論で串刺しにする荒業とはいかなるものだろうか。
 著者は師金子兜太の「造型俳句への道程」を「外なる現実だけでなく、むしろ内なる現実を重視し、それをどう表現するかのアプローチ」と捉え、「それが複雑で混沌とした現代を形象するに相応しい、現代俳句のリアリズムの発展方向」とする。その際の「内なる現実」は作者の思いが真摯なほど、戦争俳句では「反戦」、震災俳句なら「慰霊」「反原発」の思いなどへの「志向性」に傾きがちだ。

 しかし著者は、例えば信州上田の無言館に納められた戦没画学生らの作品が必ずしも反戦思想を表現するものでないにもかかわらず、観るものに平和への強い思いを突きつける点を強調する。そして、戦時・震災体験から生まれる内なる表現欲求に立脚した「存在性」こそが表現されるべき実体と主張するのだ。

「戦争と向き合った俳人たち」と題された第2部では、筆頭に長谷川素逝が登場する。ホトトギスに籍を置きつつ、陸軍将校として戦争を体験した彼の句には  雪に伏し掌あはすかたきにくしとみる
  雪の上にうつぶす敵屍銅貨散り
など、実際の戦場を知る者のみが表現できる真実が交錯し、俳句が読者に与えうる最も深遠な感動を内に湛える。それは素逝が客観写生を求めつつ、命乞いする敵も「にくし」と思わずにはいられない戦場のリアルさえ、ふと漏れ出る主観表現に託し描き切るからだ。そこには俳句は短いが故に主観は語るべきでないとの「志向性」に萃づく諷詠でなく、「存在性」の底から湧き上がる叫びの力がある。

 例えば花鳥諷詠・客観写生には批判的な立場を崩さない著者だが、独自のリアリズム論を軸とすることで、自らと異なる立場をもおおらかに包み込む「俳句の持つ力」を実証してみせる。とかく俳句の持つ可能性を狭めようとする種類の議論が横行する昨今、心して耳を傾けるべき智慧に満ちた一冊である。
                               (現代俳句11月号から転載いたしました)

あとがきより抜粋   

  私は十五歳の時、勤労動員先で真っ赤に燃え、人間を木の葉のように焼き尽くした長崎の原爆を見た。それから敗戦。憲法を手にした自由な解放感の中で、青年らしく「ノー・モア」の非核、平和、公正な日本と世界を願って、その国民的な共同のI人となり、今日までたどたどしくも前向きに生きてきた。

 その中で日本のことばと文化に魅せられ、次第に時代と俳句という大まかなテーマで、俳句とその評論にも取り組むようになってきた。古沢太穂の門をたたいたのはその頃である。太穂亡き後、金子兜太の魅力に引かれ「海程」一本できた。まだ現役のつもりの社会活動と合わせ、多忙でも愉しくやり甲斐のある世界である。

 そんな自分をぶつけるように、十数年来、書きつづけてきたのが本書である。 私は、俳句・俳論はもとより、人間とその生き方の上で心から尊敬している古沢太穂先生、金子兜太先生に親しく学んだことを誇りに思っている。また名著『金子兜太』の著者であり海程会会長の安西篤先生にも、長年、親身のご教示をいただいてきた。合わせて深く感謝を申し上げます。
 ただ本書の副題を「金子兜太の存在」としているように、全篇を通じて金子兜太論を縦軸として述べているが、ここでは評論の客観性、公平性をモットーとしたことは言うまでもない。

 私の俳句修業の道のりで、「道標」「新俳句人連盟」「鴎」「つぐみ」「海程」のみなさんには、いろいろお世話になり、俳句という「座の文学」の人間臭さを、温かく振り返っています。出版社の「文墨の森」の方がたの丁寧な仕事ぶりに、驚いたことを記してお礼とします。

  2015年3月
     三・一一から四周年          岡崎万寿









0 件のコメント:

コメントを投稿