2015年11月2日

兜太の語る俳人たち 『小林一茶』 

 これがまあ 終の棲家か 雪五尺


 一茶最晩年(1827)の夏、北国街道柏原宿一帯が大火に見舞われ、母屋を焼失。その年の11月19日、焼け残ったこの土蔵で妻に看取られながら息を引き取りました。 享年65才。翌年に遺腹の次女ヤタが誕生しています。
金子先生は一茶にのめり込み生き方に共感しました。
一茶論です。


兜太の語る俳人たち  小林一茶

これは比較していただけ化ば分かるけれど、芭蕉の「自分は翁だ」という
心構えと、一茶の場合の「俺は愚の固まりの平凡な男だ」と言っている、その心構えの違いです。片方は自由で勝手なんだ。
だけど、生きもの感覚に恵まれておれば、その自由で勝手であればこそ、すばらしい句ができる。芭蕉だってもちろんアニミストですよ。

私はみんなアニミストだと思います。だから、彼は立派な詩人なんだけれど、そのことが自覚できていない。だから、文人趣味者になって構えている。
翁ということで自分を立てている。その上で初心を大事にすると考えている。この違いです。
要するに文人意識とそんなことを考えない自由に生きている人間、普通に生きている人間、生な人間の違い、この違いは一茶に「軽み」を実現させて、芭蕉に「軽み」が実現できなかった理由だと、こう思っています。

 果たせるかな、一茶の優秀な弟子かおりまして、そのなかでも西原文虎は中堅の非常に優れた弟子です。同郷の信濃の人です。一茶が亡くなったとき、『一茶翁終焉記』を書いています。わが翁は「軽み」の人であった。翁の「軽み」が弟子たちは好きだからみんな集まって来たとその冒頭で書いている。

奥信濃のあんなところに、百人を越す弟子ができた。しかも五十歳で郷里に戻ってからですから、たった十五年間にです。今から考えれば大変なことです。今でも結社の主はたくさんおられるわけですが、二百人巣めるのにブウブウ言って、いろいろ胡麻すりをして、偉そうなことを言って、やっているわけでしょう(笑)。

一茶、あの方はそうじゃない。酒を飲んで、泊まって、風呂に入って、また次のところへ行って、俳句の話をして、それだけでまた百人以上集まって来る。月とスッポンの違いだ。どうしてその違いが出るかといえば、一茶は「軽み」を実現した男だから。弟子がそう認めているのです。わが師は「軽み」を成した。これが弟子が集まった理由だとはっきり書いています。

 一茶の場合、そういう自由な生き方をした人間。くどいようですが「翁」なんて文芸意識を持ち込まない人間のほうが「軽み」は実現しやすい。ただ、条件がある。それは生きもの感覚がなければだめなんです。うんと俗な言い方をすれば、アニミストでなければできない。そう思うのです。

小林一茶選集
http://www.asahi-net.or.jp/~zu5k-okd/house.4/haiku/issa/issa.1.htm

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