2015年10月28日

兜太の語る俳人たち 『蛇笏・龍太』

ホトトギス主観派と蛇笏・龍太

 その後も、何度も龍太を中心に語られるという時代が続きました。
ちょうど、高度成長期の始まりと東京オリンピックがあったあのころ、
そして今でも、ずっと龍太時代が続いているように思うんです。
飯田隆太

飯田龍太という俳人は、相当にしぶとくて根強い作者ですな。しかも、いい後継者がいるということは、めったにない話ですね。

「ホトトギス」という雑誌が、大正の初めに出ましたね。高浜虚子が有季定型をスローガンに掲げ、今、稲畑汀子さんが三代目です。「ホトトギス」を愛している方が全国にたくさんおられます。

 ところがね、このホトトギスの歴史、大正の初めに出てから現在に至るまでの歴史を見てみますと、あきらかに、ホトトギスの弱点というか、欠点と見ていいことが一つあるんです。大正の終わりから昭和にかけて、「ホトトギス主観派」といわれる人たちが、ほとんどと言っていいほどホトトギスから離れてしまうんです。

その一人が、飯田蛇笏です。そして、蛇笏とも親しかった前田普羅。
  駒ヶ岳凍てて巌を落しけり
「駒ヶ岳が凍りついて、巌ががらがらと落ちてくる」、これは龍太居宅から見ての普羅の句です。それから原石鼎。吉野で自由奔放な句を作った俳人です。そのほかには渡辺水巴や、「俺はホトトギスには与しない」と言って自分で「石楠」という雑誌を作った、臼田亞浪という人がいます。この人は「ホトトギス」の外の人ですが。
 
虚子は、有季定型で客観写生が大事であると盛んに主張していました。心とか主観とかいうことを思うな、と。なぜかというと、自分の兄貴分である河東碧梧桐という人が、主観というものに重心を移し、だんだんと句が変になってしまった。しまいには、自由律を認めるようになってしまった。

そのことが虚子の頭の中にあったんです。それでは俳句は潰れてしまうから、自分は有季定型のきっちりしたルールを作って俳句雑誌をやるぞ、と文芸誌だった「ホトトギス」を俳句雑誌に切り替えたわけですね。

そういうことがあるものですがら主観とか心ということを嫌っていたんですよ。今でも、 その考え方は残っていますね。汀子さんにもそれはあります。「厳しい客観」ということを言うわけですね。

だから、「客観写生」ということが俳句の作り方としての基本なわけです。その中で、主観がだんだん滲んで客観写生が崩れてくるという傾向か出てくると、虚子は慌てて、その人たちに対して「あなたはいなくなってくれ」ということになるわけですね。それが、当時「ホトトギス主観派」と言われた人たちで、その筆頭が飯田蛇笏だったんです。龍太も「ホトトギス主観派」と言われる父親の句作りの仕方をはっきりと踏襲しております。

 では、「客観写生」と「ホトトギス主観派」と、どういうところが違ったのか。「客観写生」というのは、目で見て書くんです。じいっと見て書いて、心は入れない。そのくらいの厳しさで書く。一方、「ホトトギス主観派」と言われた人たちの考え方は心で見るんです。目で見るんじゃない。甲斐駒ヶ岳を見ても、南アルプスを見ても心で見る。「即物」という言い方をしていますが、物に即して見る。

これを捉えたんですね。この人たちは結局、ホトトギスを去らざるをえなくなったけれども、実際の俳句の主流は、このホトトギス主観派が受け継いで、ずっと広めてきているんです。だから、「ホトトギス」の投句者は多いけれども、同時に「雲母」への投句者も非常に多かった。

龍太から、投句された句稿を持って、石和の温泉の定宿に三日とか五日とか泊まり込んで選句していたという話を聞きましたね。それから、ボヤがあったときに彼が最初に抱えて飛び出しだのが、投句された句であったということでした。今でも投句の多い雑誌も若干ありますが、「雲母」や「ホトトギス」ほどのことはありません。
 
  そういう雑誌でも、主宰の前に予備選をするところが多いです。主宰は、そんなにたくさんの投句に対して自ら選をしない。龍太は、それを最後まで自分の手でやろうとした。そして「選が負袒になったからやめる」と、終刊を決意した。これは誠実で偉い人というか、別な見方をすれば、馬鹿正直だということになってしまうのでしょうけれどね。立派なもんだ。
 
現在の俳壇では、「ホトトギス」に所属する人の数が多くて領域は広いけれども、ホトトギス主観派の人たちがやっていた雑誌が、事実上、俳壇の主流を形成している。そして、「現代俳句」というものが出てきている。

 目で見るとともに心で見る。この即物の姿勢で書く。掴むものは何か、
「存在」ということですね。ですから、自然と人間という関係を心で見つめて、「風士」というものが見えてくる。

 龍太のお弟子さんにあたる方で加藤嘉風さんという人がいますが、龍太のことを書いた本を最近出しています。その中で、龍太の若き日には「冷え冷え」という言葉が多かっか、と。ところが、壮年期以降になると「しんしん」という言葉が龍太の句に多い。これは、ずっと風土をにらんでいるからこういう形容詞が出てくるんだ、と嘉風さんが言って
います。

これは、いい指摘だと思います。心で見ているから、響いてくるものがそういう形で入ってくるわけですね。ただ寒いところにいるんだ、石っころがあるんだ、というだけではないということですね。

まさにこのところがホトトギス主観派の流れで、その代表が飯田蛇笏・龍太の「雲母」であった。弟子たちが、それを後継しながら立派に繋ごうとしている風景が見えている。これは、俳壇のためにも非常に大事なことだと思います。

アマゾン「語る兜太」より岩波書店

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