2017年7月19日

昭和48年9月11日 海程が100号を迎える金子兜太

資料を整理していたら新聞の切り抜きがでてきた。
昭和48年には竹丸は居なかったので誰かに貰ったのかも知れません。
珍しいのでアップします。
先生若々しい印象があります。


 金子兜太氏を中心とする俳句同人誌「海程」が、来年早々百号を数える。「俳句前衛」「本格俳句」[最短定型詩形]などの旗じるしをかかけ、戦後の俳壇を突き進んできたその道すじは、伝統のワク組みにしばられた俳句の、宿命的制約の確認とそれの拡大への
たゆみない努力であったといえる。
 
 その著書『今日の俳句』で、現代俳句への目を開かれたという話をよく耳にする。今年六月、山頭火の漂泊人生を映画化した[白い道]が上映されたとき、夜九時すぎからというのに、東京・新宿の映画館前には長い行列ができた。

 その列の中で立ち話をした長髪の若者が、兜太の〈華麗な墓原女陰あらわに村眠り〉の句を考えると、すぐ過疎の村が頸に浮ぶ、と語ったことを思いだす。「人っ子一人通らない村の往還。亭主を出かせぎにだした女が昼寝をしている。荒れ果てた棚田(たなだ)は
音もなく崩れ、草ばうぼうの墓地には戦死者の大きな石塔が……。おれ、「兜太って好きだな」と。いうのだ。

 「わけのわからないものばかり作って」という非難を浴びながら、金子氏が「同時代的理解を広く求めるつもりはない」と言いきれるのも、この青年のような思いがけない共鳴者の存在を磑信しているからこそでああろう。
 
 『今日の俳句』は、古池の「わび」よりダムの感動」へがキャッチフレーズだった。しかし、公害問題がからんで「自然への回帰」「コンクリー卜からの人間解放」等々の論議かまびすしく、人々の胸に「古池」への思い切なるものかおる昨今、この呼びかけは浅薄な旱とちりとそしる向きも少なくない。

 だが、兜太氏はそれをこうはね返す。
 「違うんだなあ。今ぼくらが再ひ古池を思うとしたらそれはダムのの感動を経てきているからです。コンクリートに囲まれた現実を無視一足とびに古池を考えるなんてナンセンスじゃないか。

現実直視から発する自然思慕なら、それは苦渋に満ちたものになるはずだ。現在の修羅場をふまえて自然を見た昜合、安直で回顧的な牧歌などどうしてうたえますか。

この金子氏の主張は、詩人・吉田一穂の「詩句の文構造は現在』発懋として『過去』を掬って『未来』に投げる行動形俳句の弁証法的構造)という言葉を想起せる。埼玉県秩父生まれの氏は、もともと「東大卒、日銀勤務」「前衛派」などからくるエリートめいた感じとはほど遠く、土俗的気質が濃厚で、近刊の句集を『暗緑地誌』と名付けあたたりにもそれはうかがえる。

 その『暗緑地誌』だが、〈米は土に雀は泥に埋まる地誌〉〈涙なし蝶かんかんと触れ合いて〉〈一飛烏蒼天に入り壊れたり〉〈ある日デモ鋭敏にビルの根から根へ〉〈負傷の兵士産家沸きたつ朝日の顔〉など、鮮烈なイメージを喚起する句がすくなくない。半面、〈沼より水気雨の自動車練習場〉〈赤で描かれたポスター神霊の移動〉といった兜太流月並みといった句も目につくのだが――。

 ところで、「海程」最近号に金子氏の[俳句道場趣意]なる一文が見える。道場とは、古い結社意識からの脱皮を一大目標にしてきた人のものとも思えぬ表現ではないか。 ゛兜太流月並み俳句 ゛はでかい体をゆすって笑いとばず氏も、この指摘にはすぐ切り返してきた。

「定型だからね、初心者には経験者が技法を伝えにゃならん。それを澄んだ場でじっくりやろうというわけ。むしろ古くさい結社の、雑ぱくな点とり句会に対抗する意味がこめてあるのだ』と。

 俳壇の青年闘将とばかり思っていたが、来年は日銀を定年だという。一つの転機に立ち [だれでも作れるという大衆性、それに高度の純粋性、両者の統一した俳句世界を今しきりに考えているんですよ」 (安)



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