2015年9月13日

兜太句を味わう「三日月がめそめそといる米の飯」



三日月がめそめそといる米の飯   金子兜太  (老いを楽しむ俳句人生から)

 少年期(昭和初期)、三食に一度はかならず麺類だった、というと、いまの時代信用しない人がいるかもしれない。しかし事実であって、わたしの麪類好きはそのためだといってもよい。田のある平野部ではそんなことはなかったはずだが、わたしの育った山国秩父では田が少ないから、どうしても、うどんやそばで補うしかなく、残る二食も麦飯だった。米麦の割合はさまざまたが、開業医のわが家ではどうやら米のほうが多かった、というてぃどである。

 秩父音頭(むかしの盆おどり唄)の歌詞に、「いとし女房と麦茶漬」といった言い草があるが、農家の昼どきのこと。冷えた麦飯に、出がらしの茶をかけてかき込む。おかずも漬物くらいだからたくさん食べる。夏などは裸で一とときの昼寝をむさぼるのだが、仰向けの体の胃ぶくろのところだけがぷっくりふくれていたものだった。

 そんなしだいで、東京で勤め人をしている親戚などを訪ねたとき、米の飯が当りまえのように食卓に並べられると、ひどく贅沢な感じをもったものである。こんな贅沢をして、無理をしているなあ、とおもい、とても気のどくな気持になったことを覚えている。

 そうした少年期の記憶のせいか、飯というものに対する思い入れがいつもあって、旅先などではことに、しみじみと米の飯をのぞき込むことがある。そして、妙に哀しい。

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