2015年9月13日

兜太句を味わう「二階に漱石一階に子規秋の蜂」

 
2004年1月刊 海竜社1500E
第1章 俳句と遊ぶ<春夏秋冬・暮しの一句>
第2章 人間にこだわる<人間のおもしろさをよむ>
第3章 いのちをいたわる<生きものをうたう句>
第4章  自然をじかに感じる<日本の風土・再発見の旅>

二階に漱石一階に子規秋の蜂         金子兜太    (老いを楽しむ俳句人生から)

 四国は松山のか愚陀仏庵(ぐだぶつあん)での句だが、この小さな木造二階建ては、「近・現代俳句」の元祖・正岡子規にとっては忘れることのできない家なのである。

 明治35(1902)年、子規は35歳でこの世を去った。2002年が百年忌あたり、子規の評価はさらに高まった。さまざまな記念行事が企画されたが、それに先駆けて、2000年9月初めには、正岡子規国際俳句賞の第一回大賞が、フランスの詩人イヴ・ボンヌフォア氏に贈られた。氏の記念講演「俳句と短詩型とフランスの詩人たち」は、一流詩人にふさわしい格調高い内容だった。
  
 庵とはいうが、この家は漱石の下宿だった、伊予尋常中学校に奉職した漱石は、明治28(1985)年から翌年まで、約十か月ここにいたのだが、その途中に子規が同居して晩夏から中秋までの二か月を過ごしたのである。
 子規は、日清戦争に従軍し、大連から帰国する船上で、フカを見ていて喀血した。東京に帰るまでの療養のためだったが、地元の教師たちの句会、松風会を指導し、漱石もそれに参加して、本格的に俳句をつくるようになる。漱石にとっては俳句そして俳諧への開眼の機会だった。二人とも28歳。
秋の庭をうろついて句づくりしていると、日当りのよいところに蜂がいた。秋ですこし大人びた蜂に、わたしは二人を思い合わせていた。

子規と漱石が同居していた愚陀仏庵は昭和20年の松山空襲で焼失し、跡地には石碑が建っています。現在、愚陀仏庵は松山藩主久松家の別邸萬翠荘の敷地裏に復元されています。


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