2021年4月14日

金子兜太略年譜




金子兜太略年譜  

1.誕生から30歳

1919 大正8年9月23日
(秋彼岸)、埼玉県小川町の母の実家で生まれる。育ったのは同県秩父
盆地皆野町の父の家。父・元春(俳号・伊昔紅)、母はるの第一子。
父は東亜同文書院校医として上海に在住。

上海むで父と



1922 大正10 2歳
母とともに、上海の父のもとで四歳まで過ごす。妹・灯(てい)生まれる。

母と兜太


1926 大正15年 7歳
父、上海より帰り、郷里秩父の国神村で医院を開業。隣り町の皆野小学校に入学。
妹・稚木(みずき)生まれる。

1928 昭和3年 9歳
父の医院、皆野町に移る。祖父母、叔母とその子供たちと同居。母の苦労、大。
弟・千侍(せんじ)生まれる。

1930 昭和5年 11歳
夏休みには戻総御宿の父の知人宅で過ごす。父、俳誌「若鮎」創刊。秩父盆踊の
普及に尽力。妹・豊子生まれる。
伊昔紅は秋桜子門下で、のちに俳誌「狩坂」を創刊また、卑猥だった秩父音頭の歌を
作り公募し家元となって普及に努めた。

往診をかさねてけふの柿余し    
蚕卵紙青みぬ春のはたたがみ    
栗送り柿おくる妻祖母として       
白露や古き患家は頼るべし       
炉ばなしにつられ踊りの型示す   
  
伊昔紅と門人たち



■  1932 昭和7年  12歳
埼玉県立熊谷中学校(現、熊谷高校)に入学。


1933 昭和8年 14歳
末弟・洸三生まれる。

1936 昭和11年 17歳
二・二六事件を雪中に知る。『夏目漱石全集』を耽読。秩父事件についての
古老からの聞き書きを校友会雑誌に出す。

1937 昭和12年 18歳
旧制水戸高等学校文科乙類に入学。柔道部に所属。11月、一年上級の出沢珊太郎に
誘われ、吉田両耳(良治)、長谷川朝暮(四郎)両教授の句会に出席。
〈白梅や老子無心の旅に住む〉を初めて作る。

旧制・水戸高校俳句会
1938 昭和13年 19歳
4月、全国学生俳句誌「成層圏」に参加。学童のざわめき過ぎて麦萌えぬ日ごと
なる静寂に麦の萌え出づるなどの句を掲載。竹下しづの女・加藤楸邨、中村草田男を
知る。
竹下しづの女
<女人高邁芝青きゆゑ蟹は赤く> 
<汗臭き鈍(のろ)の男の群に伍す>  

1939 昭和14年  20歳
祖父・茅蔵死去。ドストエフスキーなどの小説を乱読。水戸高校「暁鐘寮報」に
「最近秀句鑑賞」を執筆。「俳句研究」の中村草田男選に入選。

1940 昭和15年 21歳
嶋田青峰主宰「土上」2月号より投句。
葡萄の実みな灯を持つてゐる快談
娘嫁がせ秋刀魚焼く煙にむせてゐる
曇日の街柩車のほこりにしばし塗れ
秋風裡女教師の厚き眼鐘にあふ

右の第一句について青峰は「土上俳句月評」で「胸のすくやうな爽快な感じが
溢れてゐる」と評した。浪人し、東京阿佐谷の金子紀介(父の従弟)宅に下宿。
中村草田男を囲む赤坂山の茶屋の「成層圏」句会の常連となり、堀徹を知る。
中村草田男・のち『万緑』 主宰
<蟾蜍長子家去る由もなし>
<万緑の中や吾子の歯生えそむる>  
<勇気こそ地の塩なれや梅真白>
<壮行や深雪に犬のみ腰おとし>  

1941 昭和16年 21歳
東京帝国大学経済学部入学

「土上」2月号の「土上俳句月評」で嶋田青峰は兜太の作品、
遅刻児に山羊鴫き鶏は首かしげ
訃に急ぐ雀鳩など飛び立たせ
雛つぶせし手を振りてゆく落葉道
木葉髪家嗣がぬ故を問はれつゝ
を引き、批評。嶋田青峰、治安維持法で検挙され、2月、「土上」終刊。
東京帝国大学経済学部に入学。
加藤楸邨主宰の「寒雷」7月号に
<懐中燈に現はるゝものみな冬木>
<冬の海暮れゆくグラス水を盛る>の二句が初入選。
12月8日、太平洋戦争に突入。

1942 昭和17年 22歳
「寒雷」2月号、3月号に「尾崎放哉」(上・下)を執筆。
同誌4月号「寒雷集」
第2席
<ひぐらしや点せば白地灯の色に>
<乾草の匂ひに染みて母若し>など4句。
同号に「寒雷集鑑賞」執筆。同誌9月号に随筆「狸の応召」を書く。
同号「寒雷集作品」の
<嫁ぐ妹と蛙田を越え鉄路を越え>について、楸邨は
「寒雷俳句の動向」で、『蛙田を越え鉄路を越え』は
まことにたしかな把握と思ふ」と評した。また、同誌2月号の
<曼珠沙華どれも腹出し秩父の子>
についての楸邨評は次の通り。
「『秩父に住みて』と前書にあるとほり、兜太は秩父に生れた生えぬきの
秩父っ子であるが、この句は、その秩父の風上をしつかり把握した作である。

由来現代俳句は都会人の作家が多かったので、線の細い句が多く、田園郷土の
色調を生かしえた作家は鬼城、蛇笏の如き先進を除くと、さう多くない。自然
作家とか、風景作家とかいふ名があって、田園自然を詠む者もあるにはあるが、
本質的に風土の中に惨透して詠み出でてゐる人は少いので、これが一面現代毎の
弱さをなしてゐる。

都会人がたまたま田園に赴いて好奇の眼を以て描き出した田園自然俳句では、
結局眺めただけの作に過ぎぬ。その本来の性格はやはり都会人の線の細さが、
田園的な素材をとったといふに過ぎぬので、真の風土色の強い句は、その土の
中に住み、これと惨透しなくては出ないのである。この肉体的惨透あって始めて
真の自然が生き、人間が生きることは、芭蕉の旅の句を見ると明かであらう。
今の旅は交通機関を利用したもので、結局都会生活の延長に過ぎぬから、眺めた
俳句の域から出られないのである。

さういふ意味でこの句は正に秩父人の句である。作者兜太は都会に学んでは
ゐるが、この句ではこの秩父の子に深い愛情の眼を向けてゐる。
『どれも腹出し秩父の子』の詠嘆は曼珠沙華の季感を惨透して息づいてゐる。
都会的な機智の巧さに流れぬ人間的地盤の上に立だなくては俳句は生存出来ぬ
のである」。休暇は郷里の土蔵で読書、作句などして過ごす。

1943 昭和18年 24歳
「寒雷」5月号 巻頭
炭焼の貌の冬ざれ岩よりも
針金もて雪の杉幹幾縛り
電球に朝陽とどまる雛の部屋
   安東次男征く
冬月の簷陰ふかき別れかな
同号に牧ひでを「金子兜太諭(1)―抒情について―を掲載。
「寒雷6月号に随筆「おだいさん」を執筆。
9月、半年繰上げの卒業。日本銀行に入行、3日で退職し
海軍主計短期現役として、品川の海軍経理学校で訓練を受ける。同じ分隊に
村上一郎がいた。大学生の間、新婚の牧ひでを宅に長逗留し、木曾へゆく。
父と房総一周。
出征にあたり、「寒雷」の仲間、奥秩父・強石の二木屋で壮行会が行われる。
「寒雷」10月号に「牧ひでを論」を執筆。12月、「寒雷」18人の合同句集
『伐折羅』に参加。
加藤楸邨・『寒雷』主宰
<鰯雲人に告ぐべきことならず> 
<百代の過客しんがりに猫の子も>
<ふくろふに真紅の手毬つかれをり>
<隠岐やいま木の芽をかこむ怒濤かな>


1944 昭和19年 25歳
3月、主計中尉に任官。3月初め、トラック島夏島(現、デュブロン)第4海軍
施設部に赴任。直属上官が詩人西村咬三(矢野主計中佐)。5月31日嶋田青峰
死去。7月、サイパン島陥落。矢野中佐戦死。「寒雷」9月号に「生活と古典に
ついて」執筆。


1945 昭和20年 26歳
本土との交通ほとんど途絶。米機、連日来襲。食糧事情悪化し、栄養失調続出。
年初、夏島より秋島(現、フェファン)に約200名とともに移動、食糧自給
態勢を図るも不如意。主計大尉となる。全島虚無状態のうちに敗戦。

1946 昭和21年 27歳
米軍捕虜として春島(現、エモン)の米航空基地建設に従事。11月、最後の引揚船
駆逐艦「桐」で復員。南十字星の会(散ざん苦労する会)できる。堀徹、余寧金之助
と奥秩父へゆく。

1947 昭和22年 28歳
妹・灯、北朝鮮より長男を背負い帰国。2月、日本銀行に復職。4月、塩谷みな子
(俳号・皆子)と結婚。

■ 1951 昭和36年  32歳
阿武隈河畔渡利の藤村多加夫の持家に住む。「波郷と楸邨」を「俳句研究」
5月号に執筆。

■ 1952 昭和37年 33歳
阿武隈河畔より旭町の新行舎に移る。12月義母・塩谷サワノ死去。
 
1953 昭和28年 34歳     
只見川電源開発進み、経済調査のため雪深い会津へゆく。9月、神戸支店に転勤。
神戸市岡本の家族寮に住む。大阪の「天狼」大会に出席、新興俳句の諸先輩を知る。
日銀の屋上で

1954 昭和29年 35歳
「俳句」4月号に「二つの急務」を執筆。金沢の「風」大会で、大野林火・秋元
不死男・鈴木六林男とともに講演。堀葦男・林田紀音夫を知る。「風」11月号の
同人24名へのアンケート「俳句と社会性」に、「社会性は作者の態度の問題で
ある。
創作において作者は絶えず自分の生き方に対決しているが、この対決の仕方が
作者の態度を決定する。社会性があるという場合、自分を社会的関連のなかで考え
解決しようとする『社会的な姿勢』が意識的にとられている態度を指している。
(下略)」と答え、話題を呼ぶ。

沢木欣一は同号「後記」で、「いわば風同人の実作意識の底辺を示したわけで、
上の下部構造の上に将来見事な花を咲かせるようお互に努力したいものだ」と
述べた。

■ 1955 昭和30年 36歳
「俳句」2月号で大島民郎・伊丹三樹彦・桂信子と座談会「現代俳句の周辺」。
「俳句研究」2月号、3月号に「俳句における思想性と社会性-三十代として」
を執筆。
「風」金沢大会で、加倉井秋を・鈴木六林男・原子公平と講演。皆子「風」賞を
受賞。
7月、『現代俳句集I』(現代俳句の会・共著)に「福島にて50句掲載。
「俳句」7月号に佐藤鬼房句集『夜の崖』書評、同誌9月号に鈴木六林男句集
『谷間の旗』書評。

昭和30年大阪にて、左より兜太一人おいて鈴木六林男草田男、細見綾子、
二人おいて沢木欣一

10月、第一句集『少年』(風発行所)刊。

句集「少年」

1956 昭和31年 37歳
1月、関西中堅有志による「新俳句懇話会」結成され参加。
「俳句研究」2月号に「本格俳句-その序論 山口誓子作品より」を書き、
方法論形成を目指す。
5月、「寒雷」東京大会で講演し、はじめて「造型」の語を使う。
6月、『現代俳句集2』に「涸れ川」30句掲載。
7月、現代俳句協会賞を受賞。「俳句」
12月号に細見綾子句集『雉子』書評。この頃より俳句専念を期す。

1957 昭和32年 38歳
「俳句研究」1月号に「本格俳句-『誓子の革新』の評価をめぐって」を執筆。
9月、青谷の行舎に移る。神戸の有志、橋閒石・永田耕衣・赤尾兜子らによる
「現代俳句の会」結成に参加。朝日新聞阪神版俳句選を担当。
「俳句」編集を担当していた西東三鬼に奨められて「俳句の造型について」を書く。
4月、『現代日本文学全集』第9・1巻「現代俳句集」(筑摩書房)に作品256句
を収載。神戸での近作
<朝はじまる海へ突込む鴎の死>
<銀行員等朝より螢光す烏賊のごとく>など収載。
「俳句研究」9月号に「鈴木六林男の横顔-友が語る現代俳句協会賞受賞考―」
を執筆。

■ 1958 昭和33年 39歳
1月、長崎支店に転勤。隈治人に会う。五島列島、唐津、雲仙、佐世保、野母半島
に行く。
代表句
<湾曲し火傷し爆心地のマラソン>
<華麗な墓原女陰あらわに村眠り>などを作る。
「俳句研究」2月号に高柳重信との往復書簡
「俳句の造形について」執筆、同誌9月号に
「俳句の『現代』」について」。

■ 1959 昭和34年 40歳
九州現代俳句協会発足に参加。「難解ということ」を「俳句」2月号の特集-
難解とは何か」に執筆。特集執筆者は他に平畑静塔・西東三鬼・飯田龍太
ほか26名。
10月、[現代俳句全集』第8巻(みすず書房・共著)神戸時代の作品100句収載。
<殉教の島薄明に錆びゆく斧>を書く。
この年あたりから前衛の語多用され、俳句にも及ぶ。

左 妻の皆子さんと
■ 1960 昭和35年 41歳
「俳句研究」1月号に赤尾兜子句集『蛇』書評執筆。
5月、東京の日本銀行本店に転勤。杉並区沓掛町の行舎に住む。
「風」15周年記念大会に「三たび造型について」を講演。
長崎から東京までの旅に取材した。「海程」に
<果樹園がシャツ一枚の俺の孤島>など。
「Kの答弁-造型をめぐって」を「寒雷」に書く。
東京に復帰した頃・右
■ 1961 昭和36年 42歳
「俳句研究」1月号に「詩の時代」(俳句評論大会での講演)掲載。
同誌1月号より3月号まで、「俳壇時評」を連載。同誌7月号で沢木欣一・原子公平
・高柳重信・楠本憲吉(司会)と座談会「現代俳句の諸問題を衝く」。
同11月号で高柳重信と対談「前衛の渦のなか」。
「造型俳句六章」を「俳句」1月号より6回連載。中村草田男と論争の「現代俳句」
「現代俳句の誘い」を朝日新聞に書く。
座談会「現代俳句とは何か」を、村野四郎・秋元不死男・森澄雄などと
「俳句」8、9月号で行う。
12月、現代俳句協会分裂、俳人協会発足。7月、第二句集『金子兜太句集』
(風発行所』のち邑書林句集文庫に収録)刊。

■ 1962 昭和37年 43歳
草田男と引き続き論争、「俳句」1月号に現代俳句の問題」を往復書簡の形で執筆。
同誌3月号に「現代俳句の問題―再び中村草田男氏ヘ―」を書く。
4月、同人誌「海程」を創刊。

「海程」誌上で、原子公平・沢木欣一・赤城さかえ・石原八東と4回対談。
西東三鬼死去のあとを受け、北海タイムス俳句選担当
<無神の旅あかつき岬をマッチで燃し>を書く
「俳句研究」12月年鑑号に「不毛と稔りの一年」執筆。

■ 1963 昭和38年 44歳
1月、鷲見流一宅で「海程」新春祝賀会。
4月、第1回「海程」全国大会を浅草伝法院で開催。
盛夏、秩父三峰山頂で勉強会。
7月、『短詩型文学論』(紀伊国屋書店・岡井隆と共著)を出版。

短詩型文学論

1964 昭和39年 45歳
「俳句」1月号より「評論月評」を6回連載。
2月、「海程」関西の会、北摂山荘。
秩父長瀞に父・伊昔紅の句碑除幕。
「俳句研究四月号で三谷昭・高柳重信と鼎談、「返り点以後の前衛」。
8月、宮柊二と北海タイムス歌俳講演会で北海道へゆく。
10月、熊谷に土地を買う。上州川原湯で勉強会。伯父・浜田篤雄死去。
学習研究社「中三コース」、読売新聞地方版俳句選を担当。
<霧の村石を投らば父母散らん>を書く。

1965 昭和40年 46歳
4月、『海程合同句集』(海程発行所)出版。
6月、第1回「海程」全国同人会を東大で開催。
9月、『今日の俳句』(光文社カッパブックス)出版。のちに(智恵の森文庫)刊


■ 1966 昭和41年 47歳
2月、千葉富津勉強会。
4月、赤城山勉強会。
「俳句」1月号に「『今日の俳句』について」(自著自註)、
同誌6月号に「有季定型(論じ方を誤るな)を執筆。
9月、「海程」5周年大会を東京で開催。早稲田大学文化祭などで講演。
8月、海程戦後俳句の会「金子兜太句集』出版。

■ 1967 昭和42年 48歳
5月、豊山千蔭の現代俳句協会賞受賞祝を兼ね青森へゆく。成田千空の案内で
津軽を歩く。<人体冷えて東北白い花盛り>を作る。

現代俳句協会などで講演。
「俳句研究」5月号の加藤楸邨特集に「楸邨の近作」執筆。
「俳句研究」6月号で「特別企画・現代俳句作家の相貌シリーズ第1回 金子兜太篇」。「俳句以前-中学の頃まで―」を執筆。出沢珊太郎ら9名が寄稿。熊谷に転居。
この年、「俳句研究」に赤城さかえ論、佐藤鬼房論など執筆。

■ 1968 昭和43年 49歳
1月、埼玉文芸懇話会発足。
4月、秩父谷津川で父母金婚の祝い。
8月、水上での「寒雷」300号記念大会に参加。
「俳句」10月号で「特集・現代の作家-金子兜太」。
兜太近詠20句、林田紀音夫・加藤楸邨・飯田龍太ら11名が執筆。
「俳句研究」に「紀音夫と戦後世代」
(6月号)、「社会性の行方」(7月号)、「季語雑感」
(9月号)などを書く。4月、第三句集『蜿蜿』(三青社)刊。

句集 『蜿蜿』

■ 1969 昭和44年  50歳
6月、「海程」8周年大会を湯河原で開催。
11月1日、義父・塩谷覚三郎死去。
同月、「海程」句集祭を東京・私学会館で開催。
「挑句研究」に「老後稚心」(特集・長谷川かか女)
(8月号)、「社会性と存在」
(9月号)「こっけい」(第1回俳句研究全国俳句大会講演)
11月号)を執筆。この頃より、兜太変節、後がえり(伝統回帰)の批判、
いわゆる前衛内よりおこり、それに反論。
「社会性派」と、「モダニズム派」との分離明らかとなる。真のリアリズムを目指す
 
1970 昭和45年 51歳
1月、郷里皆野中学校校歌を作詞。
「海程」編集に尽力した詩才・大山天津也の死を悼み、「梨の本」を書く。
「俳句研究」に「女流の序」
(5月号)、「友人としての八束」
(8月号)、「俳句を志す人へ」
(10月号)を執筆。
10月、父・伊昔紅、埼玉県社会文化賞受賞。
学習研究社「高一コース」俳句選担当。
「俳句」8月号にわが主張・わが俳論として「土がたわれは」(題名は堀徹の
「子規に於ける写生の意味」に引かれた正岡子規の〈渾沌が二つに分かれ天と
なり土となるその土がたわれは〉に由来)を執筆。
10月、評論集『定型の詩法』(海程社)出版。

1971 昭和46年 52歳
6月、「海程」創刊10周年全国俳句大会を東京・私学会館で開催。
「俳句」8月号、「現代の風狂」と題して「金子兜太特集」。
9月、「海程」北海道大会のあと、皆子と釧路・阿寒・網走・層雲峡を旅する。
「定住漂泊」を「週刊読書人」に執筆。
第2回原爆忌東京大会などで講演。「現代俳句と本格」を「海程」に書く。
 
■ 1972 昭和47年 53歳
1月、福井県左右海岸で「海程」勉強会。
「俳句」2月号で森澄雄と対談「造化放談」、
同5月号に「『成長』という名のノート―句集『少年』のこと」執筆。
5月、『現代俳句大系』第10巻(角川書店)に第1句集『少年』収載、
同月報に「当時の関西」を執筆。
6月、寝屋川での「海程」全国同人会へ出席。朝日新聞に「秩父困民党」を4回連載。
山頭火、放哉関係の文を多く書く。
7月、『俳句-短詩型の今日と創造』(北洋社)
10月、評論集『定住漂泊』(春秋社)
11月、第4句集『暗緑地誌』(牧羊 社)刊。


1973 昭和48年 54歳
「俳句研究」2月号の特集「放哉・山頭火の世界」に「旅と放浪」を執筆。
4月、父・伊昔紅「秩父音頭の碑」除幕式。
伊昔紅「秩父音頭」を「俳句」5月号へ寄稿。
6月「海程」全国同人会を東京で開催。九州俳句協会大会、現代俳句協会などで
講演。「一茶覚え」を「俳句」
7月号、8月に執筆。
9月「現代日本文学大系」第95巻を「現代句集」(筑摩書房)に第一句集「少年」収載。
5月「日本の古典体系」「蕪村・良寛・一茶{河出書房新社}に「一茶句集評釈」を
収載。
「日常で書く」を「現代詩手帖」に、「詩形一本」を「俳句とエッセイ」に執筆。

■ 1974 昭和49年 55歳
1月、「海程」100号記念特集号。
5月17日、長男眞土、星野知佳子と結婚。
9月14日、学士会館で日銀有志による「金子兜太をダシにする親睦会」。
9月30日、日本銀行定年退職。相葉有流の好意で上武大学教授となる。
「俳句研究」1月号の特集「物と言葉の周辺」に「物と言葉-俳句の現状と提言」
を執筆。
2月、「秩父困民党」所収
7月、「一茶」所収の『日本史探訪』が角川書店より出る。
「物と言葉」を毎日新聞に、「衆の詩」を朝日新聞に、
「熊猫荘寸景」を「俳句」9月号、
10月号に執筆。一茶・山頭火関係のテレビ・雑誌座談会多し。
秩父・平草に山居を建てる。
7月、第五句集『早春展墓』(湯川書房)、
8月、評伝『種田山頭火』(講談社現代新書)
11月、評論集『詩形一本』(永 田書房)を出版。

■ 1975 昭和50年 56歳
2月、大阪で「海程」全国同人会。
3月、牧ひでを著『金子兜太論』(永田書房)出版。
「俳句研究」5月号「特集・金子兜太」に「伝統と現代-私の歩みのなかから―」
を執筆。また『少年』から『早春展墓』よりの自選200句を掲載。
「俳句」6月号で田村隆一と対談「ものと即興とことば」。
8月、「海程」諏訪湖勉強会。前年来、「物と言葉」論争盛んになる。
6月、『金子兜太全句集』(立風書房)に未刊句集『生長』、
第6句集『校童』を収めて出版。
7月、随筆集『俳童愚話』(北 洋社)刊。


■ 1967 昭和51年 57歳
2月、名古屋で「海程」創刊15周年記念全国同人大会開催。
「俳句」2月号の角川源義追悼特集に「因縁ばなし」
、同誌3月号の石川桂郎追悼特集に「25年前のことなど」を執筆。
6月、九州俳句協会大会で佐世保へ、
9月、孫智太郎誕生。

■ 1977 昭和52年 58歳
「俳句」1月号で飯田龍太・森澄雄と鼎談「俳句の古さ新しさ」。
6月、東京で「海程」創刊15周年記念全国大会開催。
テーマを「現代俳句の新たな原点を」とする。
父・伊昔紅、88歳で死去、皆野町町民葬。
海程新社俳句文庫発足。
『現代俳句全集2』(立風書房)に作品400句と「自作ノート」を収載。
「俳句」11月号で高柳重信と対談「俳句にさぐるもの」。
6月、第7句集『旅次抄録』(構造社)
8月、随筆集『ある庶民考』(合同出版)を出版。


■ 1978 昭和53年 59歳
4月、朝日カルチャーセンターで講義開始。京都嵐山で「海程」全国同人会。
9月、東京・私学会館で「海程関東句集まつり」、兜太以外の句集24冊を
対象とする。
10月、『飯田龍太読本』に「露の村」執筆。11月、埼玉県文化賞を受賞。
6月、『愛句百句』(講談社)出版。

■ 1979 昭和54年 60歳
3月、上武大学教授を辞す。
「海程」150号(2・3月号)記念特集「俳句形式の現段階」に「『情(こころ)』
と俳諧」を書く。
6月、八戸で「海程」全国大会。
7月、秩父俳句道場始まる。
9月、『俳句入門』(北洋社)
10月、『加藤楸邨読本』に(朝日ソノラマ)

1980 昭和55年 61歳
2月、三重県松阪で「海程」全国大会。
7月、大野林火を団長とする第一回俳人訪中団に加わり、訪中。
2月、現代俳句叢書『金子兜太』(『旅次抄録』までの自選500句、総合美術社)
9月、『小林一茶』(講談社現代新書)刊。

1981 昭和56年 62歳
2月、奈良で「海程」全国大会。
東京・日本橋高島屋美術画廊での「現代俳句直筆8人展」に出品。
『熊猫荘点景』(冬樹社)
9月、第8句集『遊牧集』(蒼土舎)をそれぞれ出版。

1981.1埼玉県庁にて

1982 昭和57年 63歳
7月、「海程」創刊20周年記念大会を東京上野・池之端文化センターで開催。
20周年記念アンソロジー『海程句集』刊。
同月、『現代俳句集成』第13巻(河出書房新社)に句集『蜿蜿』収録される。
「俳句研究」6月号で「特集・金子兜太論」。
7月、第九句集『猪羊集』(現代俳句協会)刊。

1983 昭和58年 64歳
9月、現代俳句協会北陸地区大会出席のため福井へ。
「俳句」11月号の中村草田男追悼特集に「詩人の死、そして―」執筆。
12月、横山白虹死去のあとを受けて現代俳句協会会長に就任。
角川俳句賞選考委員となる。
12月、 「一茶句集』(岩波書店)
『漂泊 三人・一茶・放哉・山頭火』(飯塚書店)刊。


1984 昭和59年 65歳
「わが戦後俳句史」を「海程」に連載開始。
4月、高松での現代俳句協会四国地区俳句大会に出席。
NHKテレビ「三国湊、歌川」に出演。青島での九州現代俳句協会大会に出席。
9月、大阪で「海程」全国同人総会。10月、名古屋で現代俳句協会全国大会。
二月、『兜太俳句教室』(永田書房)、
5月、『金子兜太・高柳重信集』(朝日新聞社・朝日文庫)、
5月、随筆集『兜太詩話』(飯塚書店)『感性時代の俳句塾』(サ ンケイ出版刊。
6月、評論集『俳句の本質』(永田書房)

1985 昭和60年 66歳
2月、隈治人主宰の「土曜」大会出席のため長崎へ。3
月、「海程」同人・会友による中国俳句の旅、香港・桂林・漓江を下り広州へ。
「俳句」4月号「特集・飯田蛇笏生誕百年」に「『浪漫』の内奥」を執筆。
6月、名古屋での「海程」全国俳句大会並びに同人総会において従来の同人
代表から主宰となる。
9月、福島県文学賞選考委員となる。ドナルドーキーンとの対談(NHKテレビ
)のため、奥武蔵都幾川村の慈光寺にゆく。
NHK学園俳句大会出席、紅白歌合戦なみの盛況に驚く。
「海程」4月号より各地同人の質問に答える「熊猫荘談話」を開始。
6月、第10句集『詩経國風』(角川書店)、
10月、『現代俳句を読む』(飯塚書店)
12月、『わが戦後俳句史』(岩波新書)刊


1986 昭和61年 67歳
NHK市民大学の「一茶」開始。
4月、「海程」関西同人との「熊猫荘談話」のため兵庫県武田尾、広島県尾道へ。
5月、鎌倉錬句の会。仙台で現代俳句協会東北地区俳句大会。
6月、「海程」メンバーを中心とする「カナダ俳句の旅」団長として、
カナディアンロッキー8日間の旅。ブリティッシューコロンビア大学で講演。
11月、飛騨古川町に句碑建立。<斑雪嶺の紅顔とあり飛騨の国>
一茶160回忌俳句大会で長野県・柏原へ。
12月、朝日俳壇選者に決まる。
現在の朝日俳壇の選句12月、
第11句集『皆之』(立風書房)刊


1987 昭和62年 68歳
7月、現代俳句協会主催「中国の旅」で、久保田月鈴子らと北京・長安・蘇州旅行。
8月、「二十五周年記念・海程の集い」を東京・九段会館で開催。テーマは「古き
良きものに現代を生かす」。
そのあと伊香保・千明仁泉亭で後夜祭。
九月、高岡市で現代俳句協会北陸地区俳句大会。
10月、文化庁主催国民文化祭で熊本へ。朝日俳壇主催「中国江南吟行の旅」で
上海・杭州・紹興・鎮江・揚州を旅行。
山形市で「奥の細道」全域を踏破した青年画家ロバートーリードと対談。
8月、『俳句説法』(さきたま出版会)、
9月、『小林一茶-句による評伝』(小沢書店)、
12月、『熊猫荘俳話』(飯塚書店)、『放浪行乞』(集英社のち集英社文庫)刊


1988 昭和63年 69歳
「俳句研究」1月号より12月号まで、飯田龍太・森澄雄と連載鼎談
(10月号休載、6月号は尾形仂がゲストとして出席)。
各回のテーマは順に、「言葉とものと観念と」、「未完の文芸」、
「思想なき時代の俳句」、「日常性と文芸意識」、「俳句への二つの道」、
「衆庶の情と俳枕」、「生活の詫びと風流」、「俳句と歴史意識」、
「写生と情念と」、「事実と想像力」、「自得の文芸」。
3月、現代俳句協会四国大会のため松山へ。
4月、「海程」の「人間・昭和俳句史」対談のため、志布志に藤後左右、
佐世保に坂口涯子を訪ねる。
6月、東京日比谷・松本楼で金子皆子句集『むしかりの花』出版記念会。
現代俳句協会北海道大会のため札幌へ。現代俳句協会東北大会のため福島へ。
11月、紫綬褒章受章。皆子、現代俳句協会賞受賞。
3月、『兜太の現代俳句塾』(主婦の友社)
6月、対談集『俳諧有情』(対談者=ドナルドキーン、樋口忠彦、高田宏、
井上ひさし、安東次男、飯田龍太、佐佐本幸綱、小沢昭一。三一書房)刊。

1989 平成元年 70歳
3月、「中華詩詞学会」発足を祝い、歌人・俳人訪中団に加わり訪中。
7月、紫綬褒章受章記念並びに句碑建立記念の集いを熊谷と長瀞町総持寺にて行う。
秩父俳句道場10周年記念も兼ねる。
句碑は<ぎらぎらの朝日子照らす自然かな>


11月、朝日俳壇主催。
「モロッコとスペイン吟行の旅」。
4月、『各界俳人三百句』(主婦の友社)、
6月、飯田龍太・森澄雄・尾形仂との座談集『俳句の現在』(富士見書房)、
7月、編著『現代俳句歳時記』(例句を昭和以降に絞り、「雑」の部を設ける。
千曲秀版社)刊

1990 平成2年 71歳
「俳句」1月号より5月号まで、岡井隆と連続対談「定型の現場」。
4月、「中国和歌俳句研究会」の発足大会が杭州で行われ、歌人とともに訪中。
9月、北京から重慶、
三峡下り。10月、名古屋で第27回現代俳句全国大会。同月、ドイツ俳人と交流のため、フランクフルト訪問。時あたかも東西ドイツの壁が取り除かれた時に当たる。11月、
「海程」福井支部20周年記念の会出席のため鯖江武生・越前海岸へ。NHK衛星放送
句会始まる。

1991 平成3年 72歳
3月、平原朝日ロッジ俳句会。10月、中 国より林林氏を招き秩父を案内、現
代俳句協会俳句大会で講演をしてもらう。 
3月、自選句集『黄』(ふらんす堂文庫)刊。
                                 
<雪の日を黄人われのほほえみおり> 「詩経国風」以後
<雪降るとき黄河黄濁を極めん>
<雪の日は黄(こう)の字思う黄濁愛す>
<黄河そそいで黄海を成す雪の日も>
<黄海に黄河から来し魚影泳ぐ>


1992 平成4年 73歳
1月、日本丸洋上大学にてグアムーサイパンの旅。船上で俳句講義。
3月、NHKラジオ・四季のうた(俳句担当)終わる。長期の人気番組だった。
熊谷市の名刹・常光院に句碑建立。<たっぷりと鳴くやつもいる夕ひぐらし>
4月、海程30周年記念の集い


4月から一年間、NHKテレビ俳句講座。
5月、朝日俳壇吟行の旅でトルコへ。
7月、東京飯田橋・ホテルグランドパレスにて30周年記念海程の集い」。
大会スローガンは25周年と同じ「古き良きものに現代を生かす」。
そのあと箱根・湯河原吟行。
7月、「海程」30周年評論集成『海のみちのり』(海程会)刊。
日中文化交流協会常任理事に就任。隠岐神社境内に楸邨句碑建立され、
代理として皆子と除幕式に出席。
<隠岐やいま師の直情の冬の雷>
<師の孫の若しよ山茶花の隠岐に>
<松枯れて時雨れてわれを打つ怒濤>。
10月、『兜太のつれづれ歳時記』(創拓社)刊

1993 平成5年 74歳
1月から2月初めにかけ飛鳥洋上大学で講義。シドニーからオークランドへ
船上で俳句講義。
「俳句研究」5月号「特集・山口誓子の世界」に「物への徹底」を執筆。
7月3日、師・加藤楸邨死去。享年88歳。
「俳句研究」8月号が「金子兜太の世界」を特集。
高井有一との対談「文学性と庶民性」のほか、小川国夫、杉森久英、宗左近ら
41名が寄稿。
9月、現代俳句協会訪中団団長としてシルクロードの旅へ。カシュガルから
カラクリ湖まで行く。ウルムチの黄葉よし。
「俳句研究」10月号「加藤楸邨追悼特集」に「師としての楸邨」を執筆。
11月、東京八重洲ブックセンターと日本橋丸善にて「金子兜太の世界」
ブックフェア開催。
1月、自選句集『金子兜太』(春陽堂俳句文庫)
4月、『遠い句近い句-わが愛句鑑賞』(富士見書房)、
12月、『現代俳句鑑賞』(飯塚書店)刊。

1994 平成6年  75歳
3月、バリ島へ。
4月より「NHK俳壇」再開。
5月、勲四等旭日小綬章受章。
9月、芭蕉没後300年記念日独俳句大会出席のためケルンへ。そのあと、
ドイツーイタリアのハイク熱と交歓。
12月『二度生きる』千曲秀販社

1995 平成7年 76歳
8月、青森県の「壺の石踏」の傍らに句碑建立。<日本中央とあり大手鞠小手鞠>
9月中国の旅。成都から峨眉山へ、そして北京で日中友好協会並びに漢俳人と交流。
1月「金子兜太俳句選集」李芒訳で出販。
7月自選句集「金子兜太」花神社・花神コレクション刊
12月、第12句集『両神』(立風書房)刊。

■ 1996 平成8年 77歳
「俳句」2月号で佐佐木幸綱と対談「中村草田男の世界」。
5月、『両神』により日本詩歌文学館賞受賞。北上市の授賞式に出席。
7月、日本経済新聞に「私の履歴書」を連載。
8月、前橋市の世界詩人会議で報告。
9月、北京市での第1回日中漢俳俳句交流会に出席、交歓。
11月、NHK教育テレビで「金子兜太の『新俳句論』」を語る。
8月、第2句集『金子兜太句集』の復刻版を出版。
皆子、第2句集『黒猫』出版。
同月、東京の第2回日米俳句大会で報告。
7月、現代俳句協会創立50周年記念式典を東京・ホテルオークラで開催。
中国より林林氏出席。
「俳句」9月号で「一茶の世界」、
同11月号に「美しく浪費させる」(細見綾子追悼)。
2月、黒田杏子、夏石番矢との共著『現代歳時記』(成星出版)出版。
10月 『兜太の俳句添削塾』(毎日新聞社)
12月、『金子兜太の俳句入門』(実業の日本社)刊。

1998 平成10年 79歳
「俳句研究」1月号で有馬朗人・稲畑汀子・松崎鉄之介と座談会「俳句の明日を問う」。
5月、多賀城市に句碑建立。<新秋や陸奥一百社鳥集>
6月、群馬県立土屋文明記念文学館にて第5回企画展「金子兜太・高柳重信-
戦後俳句の光彩-」開催。図録を出版
6月、北海道然別湖に句碑建立。
<初夏の月放ちてくちびる山幼し>
7月、富山市で「海程全国大会開催。
10月、「南十字星の会」開催。
11月、『現代俳句鑑賞全集第8巻 金子兜太篇』(東京四季出版)刊。

1999年 平成11年80歳
1月より「俳壇」で若手俳人たちと連載座談会を行う。
5月、宮崎市で「海程」全国大会開催。
6~8月、NHK人間講座「漂泊の俳人たち」執筆。
9~11月、ビアオ撮り。
8月、ベルリン「俳句フェスティバル」で報告。
この年、正岡子規国際俳句賞話事業に協力。
1月、『俳句専念』(筑摩書房・ちくま新書)
共編著『草本花歳時記(春の巻)』(朝日新聞社)刊。
4月、編著『現代子ども俳句歳時記』(チクマ秀版社)刊。

2000 平成12年 81歳
共同通信「暮らしの一句」を一年間毎週執筆。
3月、現代俳句協会名誉会長に就任。
5月、兵庫県三田・舞子にて「海程」全国大会。
6月、長野県湯田中の湯薫亭
(一茶・井泉水記念館)開館に出席。
8月、埼玉県桶川市・さいたま文学館にて企画展「金子兜太の世界」開催。
11月、『漂泊の俳人たち』(NHKラメブラリー)、
12月、共編著『鳥獣虫魚歳時記(春夏の巻)朝日新聞社刊

■ 2001平成13年2001 82歳
第一回現代俳句大賞受賞。
「俳句」7月号で長谷川擢・夏石番矢と鼎談「俳句の未来」
「切れ」と「季語」をめぐって」。「海程」
10月号で『東国抄』特集。鎌倉佐弓
「光りを貪りながら」、安西篤「産土の『気』の生動へ」ほか。
3月、第13号句集『東国抄』(花神社)刊。

芭蕉の<旅に病み夢は枯野をかけ巡る>を踏まえています。52歳で没した
芭蕉と80代の私の夢は求めるものが違うと述べていのす・・・竹丸

4月、いとうせいこうとの共著『他流試合兜太・せいこうの新俳句鑑賞』
(新潮社)刊。
5月、『金子兜太』安西篤・・・兜太を支えた海程同人が書いた金子兜太作家論、
これ一冊読めばよく分かる著書です。


2002 平成14年 83歳
「俳句」2月号の沢木欣一追悼特集に「白鳥」執筆。
『東国抄』により第36回蛇笏賞受賞。
「俳句」6月号の「受賞のことば」に、「俳句は『日常詩』。一般性のなかに
一流性を抱懐するものなり。その日常を生生しく、深く、生きていきたい」
と記す。
6月、『俳句の作り方面白いほどわかる本』中経出販。のち文庫化。
8月31日~九月一日、比叡山・延暦寺会館にて「海程」創刊40周年記念
大会を開催。小康の妻・皆子同伴。「自然存在としての人間」を講演
(「海程」12月号に掲載)。
最新の俳句観と安藤昌益の『自然真営道』やメルロ=ポンティにふれる。
筑摩書房より『金子兜太集』全四巻刊 行。
1月、第3巻「山頭火-漂泊の俳人/秩父山河」、
2月、第2巻「小林一茶」、
3月、第4巻「わが俳句人生」、
4月、第1「全句集」。

2003 平成15年 84歳
5月、愛知県・伊良湖ビューホテルで「海程」全国大会。
11月、日本芸術院賞を受賞。

2004 平成16年 85歳
 「俳句」1月号で小林恭二と対談「俳句縦横無尽」。
「海程」1月号より6月号まで「忙遊日録」を連載。
2月、東京ステーションギャラリーの香月泰男展を観る。
5月、福井県芦原温泉・グランディア芳泉にて「海程」全国大会。のち越前三国吟行。
7月21日、原子公平の葬儀で弔辞を読む。「君は私にとっての重石だった」
「君の次の名句を忘れることもない。<白鳥吹かれくる風媒の一行詩>。
この白鳥は原子公平なのだ」。
12月27日、母・はる104歳で他界。
<母逝きて風雲枯本なべて美し>
<珍しや耳霜焼けて母の死後>

秩父の皆野町にある句碑です。
母上は家を継がなかった金子先生を与太と呼んだそうです。


2月、『中年からの俳句人生塾』(海竜社)刊。

2005 平成17年 86歳
5月、今治と松山で「海程」全国大会。
7月、宮崎市・県立亜熱帯植物園内に句碑建立。
<ここ青島鯨吹く潮われに及ぶ>。
10月、黒田杏子著『金子兜太養生訓』(白水社)出版。
12月、日本芸術院会員に任命される。
5月、鶴見和子との共著『米寿快談』(藤原書店)刊。

■ 2006 平成18年 87歳
3月2目、妻・皆子他界。81歳。
<亡妻いまこの木に在りや楷芽吹く>
<合歓の花君と別れてうろつくよ>

ありし日の皆子夫人と
5月、宮城県松島町・ホテル壮観で「海程」全国大会。
6月19日、東京丸の内・パレスホテルで「金子皆子さんお別れの会」。
お別れの言葉を宇多喜代子、西澤實(元日本放送作家協会理事長)。
「海程」6月号で「追悼 金子皆子」。遺句抄
<谷卯木慟哭は誰も知らない>皆子
<先生それは白い雛菊カモミール>皆子 
<右腎なく左腎激痛も薔薇なり>皆子
(谷佳紀抄出50句)のほか、追悼記を阿部完市・溢谷道ら37名が執筆。

■ 2007 平成19年 88歳
5月26日~28日、東京・ホテルグランドパレスおよび千葉県南房総市・グランド
ホテル太陽にて「海程」創刊45周年記念大会・吟行会を開催。
6月、皆子の遺句集『下弦の月』(角川書店)を編集刊行。
長文の「あとがき」で、皆子の生いたちと句歴、闘病のことなどを書く。
10月、『酒止めようかどの本能と遊ぼうか』(中経出版)刊。

■ 2008 平成20年 89歳
角川書店の書評誌「本の旅人」2月により6月号までノンフィクション
作家・梯久美子の「金子兜太聞き書き」連載。
「海程」2・3月合併号より「新秀作鑑賞」を連載開始。3月、全国女性
俳句大会・in北九州で女性俳句について講演(発表は「俳句生活2009」
角川学芸出版)。
5月、高野山・普賢院にて「海程」全国大会を開催。
6月、「陸」創35周年記念大会で『詩経國風』について講演(発表は同21年6月号)。11月、文化功労者に選ばれる。
12月、第3回正岡子規国際俳句大賞を受賞。
8月、件の会主催「金子兜太さんとの夕べ」で講演(山の上ホテル)。

2009平成21年 90歳
2月、松山と東京にて正岡子規国際俳句大賞受賞記念講演を行う。講演の中で、
原子公平の
<戦後の空へ青蔦死木の丈に充つ>、
高柳重信の<眼荒れたちまち朝の終りかな>
<鸞曲し火傷し爆心地のマラソン>
<華麗な墓原女陰あらわに村眠り>の自作にふれる。
2月~3月、読売新聞に「時代の証言者」連載。皆野町名誉町民、熊谷市名誉
市民に推挙される。
5月、熊谷市の祝賀会で記念講演。同月、長野県諏訪市での「海程」全国大会に出席。
7月、兜太聞き書きを含む梯久美子著『昭和20年夏、僕は兵士だった』「角川書店}
出版。
8月9日、松山市の第2回俳句甲子園全国大会に出席、総評などを述べる。
8月14日、NHKテレビ「忘れないで、わたしたちの戦争」に五木寛之・
奈良岡朋子と出演、トラック島体験などを話す。
6月、 第14句集『日常』 ふらんす堂 
「文人面は嫌。一茶の『荒凡夫』でゆきたい。その『愚』を美に転じていた
〈生きもの感覚〉を育ててゆきたいとも願う。
DVD『生きもの〈金子兜太の世界〉』(日向寺太郎監督制作、紀伊国屋書店)。


■ 2010 平成22年 91歳
8月30日類天庖瘤で慶応病院皮膚科入院。10月1日退院。句集『日常』に
至る長年の業績で第51回毎日芸術賞特別賞受賞、第2回小野市詩歌文学賞受賞、
第58回菊池寛賞を受賞。日野原重明対談『たっぷり生きる』(角川学芸出版)、
佐佐木幸綱対談『語る俳句短歌』(藤原書店)。

■ 2011 平成23年92歳
3月11日東日本大震災発生。胆管に癌。慶応病院
外科に9月15日入院。10月17日に手術、12月10日退院
写真家・蛭田有一氏撮影

4月、『悩むことはない』(文藝春秋)のち文庫化。
2011年7月 『今日本人に知ってもらいたいこと』
KKベストセラーズ 1500円E 金子兜太・半藤一利対談
私は戦後社会という現実を重く見て、考えてきたんだけど、これでは駄目じゃ
ないかという問いかけが自分の中に出てきたんだ。社会の中の人間ではなくて、
「生き物としての人間」という視点から見ないと、それが作り上げた社会の
正体はわからない。 -金子兜太
昭和史に学ぶというのは簡単に言えば、本当は人々がここで別の判断をすれば
よかったのに、なぜここでこのような判断をしたのか、この連続をしっかりと
見極めることが大事なんです。つまり日本人そのものを知ることです。
半藤一利

英文『兜太』4冊シリーズ 
(熊本大学研究グループ代表リチャードーギルバート、
Red Moon Press出版)。
10月、『老いを楽しむ俳句人生』 海竜社 1300E

2012 平成24年 93歳
5月、海程50周年記念パーティ(京王プラザホテル)

嵐山光三郎 『年をとったら驚いた』新講社)で、この会の様子をユーモラスに
活写している一読あれ。そこにいる、小沢昭一さんも、トラック島で一緒に俳句を
つくっていた西澤實氏も、この会の後、翌年にかけて相次いで他界。


2014年5月刊 『兜太自選自解99句』(角川学芸出版)2190E
『限定『兜太自選自解99句』(角川学芸出版)体裁 A4版、和装四っ目綾
桐箱入り 本分102丁(204ページ)頒価 134,400円(税込み5%)
金子兜太直筆色紙、各冊1点入り。金子兜太の代表作九十九句を直筆色紙からの
複製で納め作句の背景を綴る自解を添えた豪華限定版句集
5月、『金子兜太の俳句入門』刊 (角川ソフィア文庫・660円)
6月刊 『荒凡夫』  2100円 白水社
11月、 『わたしの骨格自由人』 金子兜太

2013 平成25五年 94歳
「海程」長崎大会。無言館の成人式出席。

2014 平成26年 95歳
2.3号『海程』500号
NHK・ETV特集「94歳の荒凡夫~俳人・金子兜太の気骨」
(河邑厚徳監督制作)放送。

2015年年1月 東京新聞「平和の俳句」始り、作家のいとうせいこうと
選者 平和とは噛みしめて御飯食べること 宮本 武子(76) 
【評】<金子兜太>ゆっくりご飯を噛みしめて食べているとき、ああこれが平和
だからこんなに旨いんだ。ありがたいなあとおもう。この日常感。
2015年1月29日 BS11宮崎美子のすずらん本屋堂出演
司会・宮崎美子・・・金子兜太さんの敗戦から70年…戦時中の体験談から
死生観信条、そして代表句をご紹介しながら俳句の魅力についても伺います!

2015年5月31⇒「関口宏の人生の詩」のトーク番組に出演

2015年7月3日 ⇒平和の俳句が第十二回「みなづき賞」受賞
選者で俳人の金子兜太(95)と作家のいとうせいこうさん(54)
東京新聞に賞が贈られた。
http://www.tokyo-np.co.jp/heiwanohaiku/boshu.html


2015年8月7日⇒澤地久枝さんが国会正門前で「アベ政治を許さない」
 戦争法案を廃案に金子兜太揮毫

2015年9月23日⇒96歳の誕生日を皆野町で祝賀会 


2015年11月30日 ⇒下町ノーベル賞受賞 2016年1月 朝日賞受賞



■2016年3月31日

2016年4月17日  金子兜太講演「俳句と人生」深谷市市民文化ホール
2016年4月23日  明治大学駿河台キャンパス「金子兜太さんと平和・憲法を
語る集い」
2016年7月12日  シンポジウム「俳句にとって季語とは何か」神奈川大学
2016年7月25日 金子兜太と読む戦争俳句と戦後俳句・講演朝日新聞社

2016年8月9日⇒長崎原爆の犠牲者の追悼やこれからの平和を考える
トークイベント「不戦の歳時記」が東京大学安田講堂で開催。
2016年8月14日   金子兜太「戦争体験を講演」、日比谷で歌人らと戦争語り合う
2016年9月11日 金子兜太講演 「反戦の魂」を語る 「かわぐち九条の会」
2016.9.23 (97歳) 皆野町、97歳誕生日を祝う会

2016年11月3日 長瀞町長瀞の宝登山神社で句碑建立

■2017年5月⇒2018年8.9号で「主宰・海程終刊」と述べる
2017年5月熊谷氏ホテルヘリテイジで海程全国大会終了後のスナップ

2017年8月⇒東京新聞「平和の俳句選者」辞任
          
選者を務めた「いとうせいこう氏」と熊谷の自宅で
2018年2月20日 誤嚥性肺炎で死去、98歳。

■2018年3月2日 金子先生葬儀
3月2日、午前11時から熊谷市の彩雲という斎場で金子先生の葬儀が行われ
喪主は長男の真土さん、導師は菩提寺臨済宗総持寺の住職がつとめました。


最後の句稿

2018年6月22日 金子兜太お別れの会 有楽町朝日ホール

金子家長男真土さん挨拶

○東京新聞お別れの会記事 6.23朝刊より
金子家献花


お別れの会・各新聞記事リンク


(略年譜は、金子兜太の世界を参照に管理人が資料を加えています)


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