2015年8月1日

金子兜太句集『遊牧集』

第 8 句 集 『遊牧集』  金子兜太


僻(うつ)ぶせの霧夜(きりよ)の遊行青ざめて
梅咲いて庭中に青鮫が来ている
朝戸出て直ぐあり沢蟹の猛き匂い
山国の橡(とち)の木大なり人影だよ

















山国や空にただよう花火殻
ヘツドライトは赤眼の獣か山籠り
沸きたつように弔うように熊蜂晩夏
山国や晩夏の岩に少女坐る
父亡くて一茶百五十一回忌の蕎麦食う
肛門の毛まで描く老ピカソ東に月
水が照るこんなに照るよ冬なれや
石屋の親爺怒鳴り散らすよ関八州
妻に鷄卵われに秋富士の一と盛(も)り
富士二日見えず還流の富士おもう
雪の山畑白真ッ平らしかし斜め
霧の山紅い枯葉が顔ふたぎ
谷間谷間に満作が咲く荒凡夫
昼月は静かすぎるぞ娑婆遊び
霧籠り酒も木の実も明きかな
 中国旅吟(第一回)・九句
先ず会う満月広茫の北京へ
長城足下養蜂家族がいるわいるわ
夏の訪れ蘇州ぞうぞうと風騒 (かぜざい)
花石榴の花の点鐘恵山寺
旅を来て魯迅墓に泰山木数華
万里をゆく夏の白花手に挿頭(かざ)し
民こそ富赤煉瓦積む向日葵咲く
けもののごとき温さ黄濁の初夏長江
初夏長江鯖などはぼうふらより小さい
関八州冬の日照れば真ッ白け
   大和・三句
室生細みち愕然と山茶花発華
飛鳥仏の鼻梁も青し青し蓬
早春の飛鳥陽石蒼古たり
水の野を朝の雲過ぐああ開花
遊牧のごとし十二輌編成列車
土間に一人子近き山畑荒鋤かれ
白髪太郎がきて引きかえす妻は元気
旅なるを山梨の木に蛇眠らせ
家に坐れば文債積る柿盗り見えて
山霧来て限鼻張りつけわが家覗く
猪(しし)が来て空気を食べる春の峠
地蔵のような青年といる春の霧
非常に利己的な善人雪の木を伐りおる
梨花咲きたりわが赤らみし肝膾(きもなます)

 
 後記 『遊牧集』    金子兜太

 昭和五十二年(一九七七) 早春から、五十六年(一九八一)春までの四年間の作品から、一七四句を抄出した。
俳句仲間の会などであちこちに出かけることが多いので、私の句帖(といっても書き散しの紙片が大半だが)のかなりの部分が旅吟で占められている。しかしこの句集では、それらを棚上げして、毎日の暮しのなかでできた、いわば常住の日常でできた句から選ぶことにした。武蔵野の北に所在する熊谷に住み、その市(まち)の西にあたる秩父山峡とのあいだを行ったり来たりしている毎日だが、四年もたてばすこしは句もたまる。それを中心に句集を編むことにしたのである。

 したがって、旅吟のほうは、なんといっても印象のふかかった中国旅行 (北京、蘇州、無錫、上海) のときのものと、室生寺、飛鳥、三河路を歩いたときの、わりあいに自分らしいものができたとおもえたものを入れることにした。それ以外の旅吟は、この次にでる句集でまとめてみたいとおもっている。

 これで、句集は八冊目になる。『金子兜大全句集』(立風書房)所収の未刊句集『生長』を含めれば、すでに九冊目だ。
 この句集の四年間、私は小林一茶について、どうやら自分なりの考えを成熟させることができて、二冊の本を書いた。別に、中山道を歩く一茶を追うかたちで、中山道物語というものも書いたりした。そして、一茶から教えられて、自分なりに輪郭を掴むことのできた(情 (ふたりごころ)) の世界を、完全に自分のものにしょうと努めてもきた。
そのせいか、(心 (ひとりごころ))を突っばって生きてきた私は、(情)へのおもいをふかめることによって、なんともいえぬこころのびろがりが感じられはじめているのである。叙情についても、あらためておもいをいたしたりしている。

(情)を私が十分にわがものとすることができるかどうかは、むろんこれからのことである。一茶は、晩年になって、「荒凡夫」などと自称し、自分勝手な生きざまを自認したわけだが、かれにはおのずからなる(情) が具っていて、したがって自分ではすこしも意識していなかったのに、それが、自分勝手な生きざまを無害に、かつ、懐しくもユーモラスなものにしていた。しかし私の場合は大いに意識せざるをえない。結局は(情なし) に終ってしまうのかもしれないが、なんとか (心)と(情) の重なり溶けあったこころの姿を、と願ってやまない。

 むろん、ことわるまでもないことだが、この願いは、超俗や離俗、さては、天然への没入、逃避、随順といったことのためではない。私はあくまでも、この俗世間で生きてゆきたいので、いつも、俗に生きる精神におもいをひそめている。俗を離れて (情)を考えることなどできっこないのである。
 この句集の上梓もまた (情)を私に痛感させてくれた。『流れゆくものの俳諧』(朝日ソノラマ) を出してくれた桜井英一氏の変らぬ好意と、蒼土舎の内藤克洋、岩崎呉夫両氏の行きとどいた配慮にこころから感謝している。
           
                    良き五月某日。兜太記す。 

解説 海程同人  )安西 篤
 付・「あとがき」、総頁二九六頁、装帳・山本祐二、判型・A5判変型、造本・上製ビニールカバー装、発行.一九八一年九月二十日初版、発行所・蒼土舎

 『遊牧集』は、昭和五十二年(一九七七) 早春から五十六年(一九八一)春までの四年間の作から一七四句を抄出したもの。比較的放吟の多い兜太句集のなかで常住の日常で出来た句を中心に選んでいる。全体は九章で構成されているが、まったく旅吟がないわけではなく、中国旅吟の「白花の抄」室生寺・飛鳥・三河路を歩いたときの「遊牧の抄」の二軍が挿入されている。

 「あとがき」によると、この句集の四年間に 「小林一 茶について、どうやら自分なりの考えを成熟させることができ」たという。
この間の著書としては、昭和五十二年の評論『ある庶民考』、五十五年の評伝『小林一茶』があり、さらに五十六年の中山道を歩く一茶を追うかたちの小説風エッセイ『中山道物語』、

また五十四年の講義録『流れゆくものの俳諸』では一茶を軸とした俳諸史を書いている。そのなかで 「一茶から教えられて、自分なりに輪郭を掴むことのできた(情(ふたりごころ))の世界を、完全に自分のものにしようと努めてもきた。

そのせいか、(心(ひとりごころ))を突っぼって生きてきた私は(情)へのおもい をふかめることによって、なんともいえぬこころのひろがりが感じられはじめている」という。この(情(ふたりごころ))は、外(自然と人間)に向ってひらいてゆくこころの世界である。そのアニミズム的交感の成果が集中の次のような佳吟に反映して評判を呼んだ。

「梅咲いて庭中に青鮫が来ている」
「初夏長江鱶などはぼうふらより小さい」
「猪がきて空気を食べる春の峠」。

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