2015年7月30日

金子兜太句集『暗線地誌』

第4句集 『暗線地誌』

昭和47年 牧羊社(句集は321句) (句は花神社コレクション 「金子兜太」から)

林間を人ごうごうと過ぎゆけり
涙なし蝶かんかんと触れ合いて
米は土に雀は泥に埋まる地誌
一飛鳥蒼天に入り壊(こわ)れたり
犬一猫二われら三人被爆せず
夕狩(ゆうがり)の野の水たまりこそ黒瞳(くろめ)
山の向こうは青葡萄園その拡がり
谷に鯉もみ合う夜の歓喜かな
灯が斜めの非常階段をおちる豆
  北海道十勝
しみこむ影は唐黍の精十勝の家
二十のテレビにスタートダツシユの黒人ばかり
  赤い犀 二句
赤い犀顔みてゆけば眼が二つ
赤い犀車に乗ればはみだす角
  松島
靄から夜へ島も燈下のわれも美貌
暗黒や関東平野に火事一つ
雑木林に雪積む二人の棺のように
馬酔木咲き黒人Kのさらなる嘆き
汚れて小柄な円空仏に風の衆
列島史線路を低く四、五人ゆく
月あれば谷底ひろし青(あお)僧侶
朝顔が降る遠国の無人の宿
風におちた青葉青枝眠りの場
みな多弁に棗かじる暗い山
篠枯れて狼毛の山河となれり晩夏
樹といれば少女ざわざわと繁茂せり
紫雲英田に俠客ひとり裏返し
伊豆の山山雁より黒くわれらわれら
死火山に煙なく不思議なき入浴

金子兜太

 後書 『暗緑地誌』   金子兜太 
              
 五年まえの夏、緑林と田の熊谷に移った。関東平野の一角、武蔵野の北西部にあたる。西に青々と秩父連山を望み、北西に、妙義、榛名、赤城の上毛三山がある。浅間山もみえる。そのむこうは上信越の空だ。冬の季節風は、その空を渡り、平野を駈ける。

それから現在まで、東京とのあいだを往来し、日本列島のどこかを歩き、地球上の戦争を憎んできた。そしていつか、私のなかに暗線地誌の語が熟した。暗鬱な生命力のアレゴリーかもしれない。

解説・海程同人  安西 篤(金子兜太句集第一巻より転載) 
『蜿蜿』以降の約五年間の作品の中から347句を収録している。『蜿蜿』の末期に熊谷に移っているので、熊谷の自然との交流は『暗線地誌』の方に色濃く反映している。この時期、兜太 はしばしば俳句仲間との旅にでかけている。

人間と自然との新たな 出会いを通じて、おのれの肉体と精神を動かし、それによって思考と 感覚の回路を開こうとしている。この時期、いわゆる七〇年安保という反戦活動はみられたものの、六〇年安保ほどの盛り上がりもみせず終息していつた。

訴える詩の無力感がつのり、内向する漂泊感をもてあましながら、兜太は生 (なま)な存在感の原質に迫ろうとしていた。それが『暗線地誌』とい う語に熱したのは、「暗鬱な
生命力のアレゴリーかもしれない」と(あ とがき)で述べている。

この句集は、製作年代順というより、主題別の配列になっており、「暗鬱な生命力のアレゴリー」の塊をいくつかの連作で表現したとみられ、全体を十五章で構成している。

そこでは一作毎の勝負よりも連作での世界の構築を目指している。だから個々の作品に過大な負荷をあたえず、より自然なかたちで世界がひろがる。前句集『蜿蜿』の後記にいう「一人の連句」として、「自分の句に向って、ときに 反撥し、ときに響和しながら、気合をもって相対し、相関わりつつ、 次ぎつぎと句を作りだし」ていくことが具体的に実践されている。


『詩人の声』高井有一     月報
 金子兜太さんは多弁の人だという印象が私にはある。それは、ただ金子さんが口数が多いという風な事ではない。雑誌「海程」や、数多い著書に示された金子さんの多弁は、金子さんの宿命を現わしているように思えてならない。金子さんは、著書を出す度に、必ず私にまで贈って呉れる。それ等の本は、今、私の机辺にあるが、そこから聞えて来るのは、しばしば豪快と評される金子さんの肉声そのものではない。肉声よりもずっと低い、或いは哀調があると言ってもいいような、宿命の響きである。

 もう十数年も前、私は通信社の文芸担当記者として、金子さんに会った。金子さんが、前衛を代表して守旧派の人たちと論争をしていた時期である。私が訪ねたのも、その論争に関聯して、金子さんの意見を聞くためであった。「粉屋、か哭く山を駈げ下りて来た俺に」や「華麗な墓原女陰あらわに村眠り」の句が、ゴシップ的興味を伴いつつ論議の的となってもいた。

 初対面の金子さんは、勤め先の日本銀行の近くの喫茶店に私を誘い、熱心に語って呉れた。私はそこで″俳句前衛″″最短定型詩形″というその 後繰返して聞くようになる言葉を、初めて聞いたのであったと思う。そうした言葉を、私が充分理解したとはむろん言えない。
理解の届かぬ部分の方、か恐らく多かったであろう。しかし、私は、身を乗り出し、時に哄笑を交えて話す金子さんを見ながら、この人を中心に今新しいものが興りかけていると感じた。そして、金子さんを初め、前衛の人たちの作品に対して持っていたゴシップ的興味は急速に薄らぎ、別の関心へ変って行ったような気がする。

若しこの時金子さんに逢わなければ、もともとさして俳句に親しんだわけではない私は、お座なりの記事を一本書いただけで、再び俳句から遠ざかってしまったのに違いない。

 古池の「わび」よりダムの「感動」ヘー金子さんの「今日の俳句」の傍題にはこうある。これは金子さんの考え方の一面を、解りやすく示しているだろう。金子さんの句集「蜿蜿」の出版記念会の席上、大岡信氏はこの言葉を批判して、いきなりダムヘ眼を向けるのではなく、一般の人が見過してしまうささやかな風景の中に、新しい感動を見出すのが、本来の詩人の在り方ではないかという意味の事を言われた。

確かにそうであろう。私もそう考える。私自身、目立たぬささやかなものの中に、何かを求めて書き続けている小説書きなのである。

 しかし、その事に金子さんは気付いていなかったのだろうか、決してそうは思えない。金子さんは、批判の論点をすべて承知の上でなお、古池に代るダムの感勵を説き、ドラム缶も俳句になると叫ばずにはいられなかったのだろう。私が金子さんの宿命と言ったのはそういう意味である。俳句のような重い伝統を負った芸術の場で、前衛に立つのは容易ではなく、受ける風圧は傍からの推測を超えるものがあるだろう。その風圧に抗するために、金子さんは、理路整然と語らなければならぬ。威風堂々としていなくてはならぬ。

書く言葉、口から選り出る言葉のすべてが力に満ちていなくてはならぬ。「海程」を率いて厳しさと包容力とを併せ示さねばならぬ。金子さんの多くの評論は、こうした力技の集積のように思われる。

 記者として原稿を依頼した経験から言うと、事の要点を把むのに、金子さ んほど鋭い感覚を示す大を私は他に知らない。受取った原稿に私が眼を通し終るのを待っていて、「どうです、いいでしよ?」とほんの少し子供ぽいような笑いをみとるのがいつもの例であるが、原稿には、此方から依頼した主題が、必ず此方の気付いていない角度から取上げられていて、私は期待を裏切られたためしがない。これは単に勘の良さとして済ませてしまっていい事ではないだろう。最新定型詩を求める人の眼が、常に対象に向って正確に見開かれている事であり、その眼があって初めて、ドラム缶もまた俳句になり得るわけだろう。

 金子さんに贈られる句集を、私は、多くは深夜に、ゆっくりと読み進む。今も「暗緑地誌」の校正刷を読み終ったところだ。私は句を批評する立場になく、若しかすると、私の泛べるのは、作品とは離れた恣まなイメージであるかも知れない。だが、それでもかまわないだろうと私は敢えて思う。

 明きは死者晩秋樹林に日の足音
 負傷の兵士産毛沸きたつ朝日の顔
 暗黒や関東平野に火事一つ

 ここには凝と想いをひそめつつ立ち尽す詩人がいる。そして句のイメージは必ず金子さんの風貌と重なる。その風貌が日頃の元気のいい金子さんではなく、いささか憂いを帯びているのは何故だろう。

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